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〇〇好きに悪い人はいない 〜オランダ編〜

「〇〇好きに悪い人はいない」といった表現をすることがある。

単に、肯定的な先入観になっている場合もあるだろうし、私のようなタイプであれば、ついつい悪い人の定義が曖昧であることも指摘したくなる。

一方で、仲間意識や信用の意味づけならば、愛のある表現なのかもしれない。私自身、この○○にぜひとも入れたい言葉がある。「手芸」だ。

「手芸好きに悪い人はいない」というこの仮説を本気で検証したことはなかったものの、自ら経験を通して何となく実感し、最近になって、予期せぬタイミングで、それには根拠があると気付かされたのだった。

近所の毛糸屋さんで、クロシェット(かぎ針編みのこと)の達人と知り合いになった。その後、連絡を取り合い、彼女の自宅で会うことになった。最初は、まだそんなに知らないのに、いきなり大丈夫だろうかという気持ちもあったが、後になって、障がいのあるお子さんがいて、普段から自由気ままに外出はしていなく、自宅で付き添っている必要があるということを知るのだった。

彼女の自宅では、お互いのバックグラウンドについて、教育や差別の問題、そしてもちろんクロシェット、お互いのビジネスやモノづくりについてと、コーヒーを飲みながら、話が弾んだ。出してもらったおやつで、満腹になり、私が持っていったエクレアの出番はなくなるくらいだった。

クロシェットのみならず、手芸は、ビジネスというより、あくまで趣味の派生といった過小評価をされてしまうことが多い。その理由は、売り手も、買い手も、世の中に溢れている安物と、ついつい同じマーケットに存在させ、同じ物差しで測ってしまいがちだからだと見ている。実際、その流れで値段をつけ、時給に換算すると、非効率過ぎて、馬鹿馬鹿しくなってしまうことはよくある。なので、全く別の存在意義があるというスタンスが必要だ。実際彼女も、工場のように言われたものを作ることはしていないという。私が知る限り、工場だって、彼女のクロシェのような面倒臭いものを作ることはないだろう。

そんな中、彼女は、あれやこれやと自らの作品を私に見せながら、さらっと言うのだった。

「クロシェットって、私のビジネスであり、何よりセラピーだからと、夫も理解してくれているの」

セラピー!?

これが「手芸好きに悪い人はいない」を確信した瞬間だった。もちろん、私のように自由気ままに生きている人には、彼女の苦悩を本当の意味で理解することはできていないのかもしれない。でもそうか、そういうことだ。

彼女の自宅からの帰り道、私は、安物の裁ち鋏と糸切り鋏が3ユーロ弱で2個セットでプラスチックのパッケージに入って売られているのを見つけ、気がつくとその前でしばらく呆然と立ち尽くしてしまうのだった。切れない鋏なのかもしれないし、意外とそこそこの品質で、切れる鋏なのかもしれない。目に止まった理由は、職人がつくった最高峰の裁ち鋏は我慢しつつ、その数日前に、紐を切る専用として、比較的真っ当な品質の鋏を、それでもその10倍くらいの値段で買っていたからだった。

こんなことを書いてしまうと、これから、悪い人が、手芸好きを装って、あなたや私に近づいてくることもあるかもしれない。でも、その悪い人も、手芸に夢中になっているうちに、改心するような気がしている。

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いつかこの「地球人のおもてなし」がNetflixでドラマ化されたらいいなと夢みながら😴💫

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