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パラアスリートに夢を語ってもらう「ゆめすぽ☆彡」 ~第3弾 永岡真理さん (電動車椅子サッカー選手)~ 【前編】

〜 永岡真理さんのプロフィール 〜

・電動車椅子サッカークラブYokohama Crackers所属のキャプテン
・日本人女性初の電動車椅子サッカー日本代表
・株式会社マルハン 人財部 CSR・障がい者スポーツ推進担当(2013年4月〜)
永岡真理さんのプロフィールページ より作成

〜 電動車椅子サッカーとは? 〜

国際的な呼称は「Powerchair Football」。電動車椅子の前にフットガードを取り付けて行うサッカー。性別の区分はなく男女混合チームであり、選手の多くは自立した歩行ができないなど比較的重度の障がいを持つ。ジョイスティック型のコントローラーを手や顎などで操作することで、電動車椅子を操りプレーする。選手が激しくぶつかり合う「迫力」、パスやドリブル、回転シュートなど選手が繰り出す「華麗なプレー」、息もつかせぬ「早いゲーム展開」など、魅力あふれるスポーツ。
電動車椅子サッカーとは より作成


今回は、Unispoメンバー3人と牛島先生で永岡さんにお話を伺いました。(取材日:2021年1月15日)


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新型コロナウイルスは永岡さんから練習を奪った

スポーツ界に変化をもたらした新型コロナウイルス。以前は月4、5回できていたYokohama Crackersの練習は、どのように変化したのだろうか。

—— 今、緊急事態宣言が発令されていますが、5月に緊急事態宣言が発令されて以降の練習はできない状態でしたか?

そうですね。練習はできていないです。去年(2020年)は3月〜6月は全くチーム練習がなくて、7月に一度練習を再開しました。ただ、体育館によっては練習に行けない選手も多くて、「横浜ラポール」(Yokohama Crackersの練習拠点)だと不特定多数の利用者さんが多いので、人との接触を考えると出向くのに感染リスクがあり難しいです。一方、小学校の体育館を借りる場合は、予約制で、使うのはその時間に予約している団体だけで多くの方との接触がないので、体育館での練習に限定して参加しています。9月~11月は練習に行っていて、参加できても月に1回ぐらいでした。12月からは一切練習はなくなってしまいました。

—— 体育館が使えるとなっても、他の団体の方がいらっしゃると使えないなど、制限はあるんですね。

そうですね。体育館を利用することはできます。ただいろんな人との接触があると感染リスクがあると思う選手もいる一方、普通に練習したいと思う選手もいます。そのため、チーム練習というのはできなくて、あくまで個人参加型の自己判断での練習参加として行っています。

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  (提供:永岡さん)


どうにかしてはじまった公園での自主練習

チーム練習が少なくなったことで、公園で自主練習を始めた永岡さん。慣れない練習環境の中、ボールを紐で固定して蹴るなど様々な工夫をされている。

—— 先日拝見した*インタビューの動画のなかで、永岡選手は公園でも自主練習をされていましたが、そのように選手ごとに、自分たちで工夫して練習するという状況ですか?

選手ごとに変わりますね。本当に練習したい選手はどうにかして場所を探して練習しています。

*中村和彦(映画監督)「感染で重症化の恐れも〜電動車椅子サッカー、コロナ禍でW杯出場に挑む葛藤」, 2021年1月9日https://creators.yahoo.co.jp/nakamurakazuhiko/0200088594

—— 永岡さんは、どのような経緯で公園での練習を始められたのですか?

チーム練習がなくなってしまうと練習量がほとんどゼロになってしまいます。そうするとアスリート採用等で就職した選手は困ってしまうので、自分でどうにかするしかなくなってしまうんですね。私は地元で練習ができる体育館を探そうかと思いましたが、やはりスポーツセンターだといろいろな方との接触がありますし、電動車椅子サッカーをするための使用許可を取ることから始まります。そうすると、普通のスポーツとして認知されていないので多大な労力がかかる上にコロナ感染リスクも高まるので、体育館を個人で借りることは検討しているところです。その結果、外でやるしかないと思い、家から徒歩15秒くらいの公園で平らなところを探してやっています。

—— 公園での練習で、大変なことや苦労することはありますか?

傾斜があるのでボールをうまく蹴れません。電動車椅子サッカーは体育館で行う競技なので、外のコンクリートで練習をするとタイヤも中の軸まで見えてくるほどボロボロになるのですが、交換したとしても多分同じことを繰り返すだけなので、度重なるタイヤ交換は難しいです。

—— 大会がなくなった今、何を目標に練習していますか?

今は開催されるかどうか分かりませんが、今年(2021年)の日本選手権を目標においています。あとは今年開催予定だったW杯が来年に延期されたので、日本代表として出場することが目標です。


今後の大会を目標に、コロナ禍でも変わらず電動車椅子サッカーに情熱を注いでいるのが印象的だった。そんな永岡さんと電動車椅子サッカーの歩みについて伺った。


「一番面白いなと思ったのが電動車椅子サッカーでした」

—— 電動車椅子サッカーを始めたきっかけは何ですか?

きっかけは、小学校2年生のときに横浜ラポールでボッチャやボウリング、テニスなどの障がい者スポーツ教室が開かれていたことです。一応全部に参加したんですけど、一番面白いなと思ったのが電動車椅子サッカーでした。その後、ボッチャも少し続けていたんですけど、最終的には電動車椅子サッカーになりました。

—— ボッチャも続けられていたなかで、最終的に電動車椅子サッカーを続けることになった決め手は何ですか?

自分でアクティブに動いて、激しくプレーができるところです。手も足も動かない状態で自分で電動車椅子を操作して、誰か違う人と連携をとってプレーするというのが、すごく面白くなりました。また、自分自身は体を動かすわけではないけど、電動車椅子を動かして、体にもだいぶ負担がかかるというか、良い疲労感もあることは、面白さを味わうこともでき、身体にも良い影響があるので続けています。

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(提供:永岡さん)


代表落選でメンタルも体もボロボロ、それでも続けられたのは周りのサポートがあったから

—— 電動車椅子サッカーを辞めたいと思ったことや、嫌になってしまったことはありましたか?

ありましたね。何回かありましたけど、一番は7年前の最初の代表落選の時が、あーもう辞めようかなと思いましたね。

—— どうして辞めるという決断を踏みとどまることができたのですか?

「もう辞めた!」という感じではなくて、辞めた後のことが何も決まっていなかったので、全てを辞めるという感じではなかったですね。ただ、メンタルも体もボロボロで、練習や普及活動をする気力がかなり落ちていました。所属先の会社やチーム関係者等に相談しましたが、「体調を戻すのは時間がかかると思うけど、とりあえず今できることを、できるだけで良いからやってほしい」というみんなのバックアップがありました。

もう一つは、体調不良により代表落選した直後の大会を1、2個くらい欠場したのですが、その次の大会をどうしようかと考えてるときに、監督から「大会に出なくても良いから、とりあえず会場に来てくれる?」と言われたので、とりあえず行こうという感じでした。ただ、「出なくてもいいから、一応サッカーの準備だけは持ってきて」というようなことを言われて、私は言われた通りにしたんですね。心身ともにボロボロの状態で気力もなく出場を前向きに考えられなかったですが、どこか気持ち的にサッカーをやりたかったのか、荷物を持ってチームの服装で会場に行きました。たぶん永岡真理は会場に行ってコートに立たせればやる気になると思われたのか、「ちゃんとプレーしなくて良いから試合に出て」「何秒でも良いから一回出て」というように言われて、「3分くらいで下げてほしいです。」と言っていました。ただ、試合って始まったらずっとやっちゃうんですよね。だから、ちょっと呼吸が乱れたときはもちろん交代しましたけど、体調が許す限りそのまま試合に出ました。そこでサッカーをやってみて、楽しいなとは思わなかったんですね。だけどその時はあまりサッカーをしてなかったので、良い疲れが残っていて、そういう感覚を味わうとやってみようかなと段々日が経つにつれて思うようになりましたね。

—— その後も続けられた理由は何ですか?

辛いことがあっても応援してくださる方がいて、その時は代表に落ちても、それでも応援してくださる方がいて、すごい自分の力になるので、プレーしていて頑張ろうと思います。あとは、仲間とボール繋いでいけるところがやはり面白くて続けたいなと思いました。

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(提供:永岡さん)

数多くの壁にぶつかりながらも、電動車椅子サッカーへの情熱と周りのサポートによって乗り越えてきた永岡さん。後編では、チームのキャプテン、そして代表メンバーを務めるまでに至った永岡さんの生き様と今後の夢に迫る。
乞うご期待ください!!!

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