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【私とお能: No.3 】 能がくれた出会い

「私とお能」エッセイ

このコーナーでは部員やOGOBから集めた「私とお能」に関するエピソードをご紹介しています。

T竹中 (2006年度卒)

社会人となり15年。
正直言って、大学で勉強したことよりもサークルで経験したことの方が役に立っていると実感している。能にはそれだけの魅力がある。

高校まで野球にいそしみ、能を鑑賞したことなどなかった。慶應観世会に入ったのは、先に入部していた中学・高校の同級生にたまたま誘われたからだ。それにもかかわらず、稽古に励み、能楽堂に足を運ぶうちに「非日常」の幽玄の世界にどっぷりはまった。

大学卒業後、北海道で就職したため、稽古はいったん中断した。
2011年~14年に勤務した小樽市には東北以北で有数の歴史的能舞台「旧岡崎家能舞台」があった。そこでは市民有志が謡や仕舞を披露する「おたる市民能」が毎年開催されており、私も舞台に立たせてもらうことがあった。能を通して人脈が広がった。

小樽出身で、女性能楽師として初めて重要無形文化財総合指定保持者に認定された故・足立禮子(れいこ)さん(1925~2013年)とも知己を得た。その半生について話を聞く機会もあった。鐘入りで知られる大曲「道成寺」などを演じた際の苦労や、女性ゆえの差別的な扱いを実力ではねのけた成功談にも触れた。

亡くなる3カ月前の話だ。足立さんは小樽市民を対象に旧岡崎家能舞台で講演をした。能「羽衣」の最後の見せ場を装束を着けて舞われた。開演直前、足立さんは私に地謡(じうたい)を依頼された。当時、現役最高齢の女性能楽師と舞台を2人で務めさせてもらったのは光栄の極みだった。

「ちゃんと謡えていたじゃない」と声をかけてくれた。その穏やかな笑顔は今も忘れられない。足立さんにとって、それが故郷で最後の舞台となった。大学で能楽サークルに入っていなければ、そんな経験ができることはなかった。

2年前の春、東京勤務となり、稽古を再開した。
月2回、大学時代と同じ能楽師の先生に謡と仕舞を教わっている。やっぱり能っていいな、と改めて感じる。きっとこれからも、能を通した出会いや貴重な経験があると信じている。


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