【SS】バレンタインは誰のため?/海


二月は十四日。日に日に暗さが和らぐ季節。そう、今日は一年で一番チョコが渡される日。__そして、一年で一番学校のルールが守られない日。はぁ、お菓子を学校に持ってきてはいけないなんて当たり前のこと、どうしてみんな分からないんだろう。浮かれ気分の周りとのテンションの差に今日はずっと居心地が悪かった。
「今日はバレンタイン、ですね。」
溜まった不満が声に表れ、桃華さんに投げかけた言葉は信じられないくらい不機嫌さを纏っていた。けれどいつもは賑やかな第三芸能課も二人なら絶好の紅茶日和、優雅にティータイムに勤しんでいた桃華さんは気にもとめないようにゆったりと口を開く。
「そうですわね。ここに来る前にも、学校の方で話題になりましたわ。」
「やっぱり桃華さんの学校でもバレンタインはイベント事なんですね……」
どこの学校でも同じなんだろうか。桃華さんは嫌な気持ちにならなかったかな。
「ええ、ご学友の皆さんも今日ばかりは皆さんそわそわしているようでした。」
「学校にチョコレートを持ってきてる人はいましたか?」
「そんなこともしていいんですの!?」
「……桃華さんの周りでは起こってないようで安心しました。本当はだめなんですけど、私の学校では結構の人がやっていて。みんなバレンタインデーだからって浮かれすぎなんです!」
全部言ってから、こんなことを桃華さんに言っても何にもならないと気づく。バツが悪くなって逸らし目で飲み物を口に含んだ。
「それはそれは大変でしたわね……。」
それでも桃華さんは寄り添ってくれた。優しさが身に沁みる。けれど、その後の言葉は予想していなかったものだった。
「ですが、そういった方の気持ちもなんとなく分かるような気がいたしますわ」
「そ、そうなんですか!?」
一体どうして……?
「ええ、だっていつもなら照れてしまうことも今日ならチョコレートを通して伝えられますでしょう?奥手な方でも胸に秘めた思いを届けられる、バレンタインはそんな素敵な日だと思いますわ!」
そういって微笑む桃華さんを後ろめたさから直視できない。
「……桃華さんは大人ですね」
「ふふっ、ありがとうございます。」
その寛大な姿勢に、浅いところしか見ていなかった私の幼さが痛いくらい自分に跳ね返ってくる。
「ですが、私(わたくし)はありすさんの方が大人だと思っておりますのよ?」
「えっ?」
今日は桃華さんに驚かされてばかりだ。真意を問おうと上向いた目線がエメラルドグリーンの瞳と重なると、桃華さんはもう一度微笑んだ。
「ありすさんはたくさんのことを知っております。私が知らないことを知っていて、私が知らないことをたくさん経験している。だからきっとそんなありすさんから見た世界は、私が見ているそれよりも色んなことが見えているんだと思いますわ。私はそんなありすさんの意見は大切にしたいですの。」
「……私はおいしい紅茶の淹れ方を知りませんし、マナーだって桃華さんほどはちゃんとしていません」
「それを言うなら、私は一人で電車に乗ったことがありませんしありすさんのように読書家でもありません。私だったら一人でこの事務所にたどり着くことも出来ないでしょう。」
「……。」
そのまっすぐな言葉に負けた私は、やがて胸の内を語りだす。
「私はやっぱり、学校でチョコレートを渡すのはいけないと思います。チョコレートをみんなに渡すならいい機会ですけど、だからといってそれを許してしまったらどんどん大変なことになってしまいます。今日もずっと騒がしかったですし。それにそもそも学校は勉強する場所ですから、そういうことをしたいんだったら放課後に渡すべきかなと、思います」
桃華さんは私の話に時折相槌を打ちながら話の最後に、
「そうですわね、そのとおりだと思いますわ。」
ともう一度深く頷いた。桃華さんが私の考えに同意してくれたことに安堵する。ああ、私の考えも間違ってなかったんだ。
「__ですから、はいっ」
気を抜いていた私の目の前にいきなり手が差し出される。
「ハッピーバレンタイン、ですわっ!」
そこにあったのは、個包装のチョコレート。
「え、ええっ?」
「だって、ここは学校ではありませんからっ。ふふっ!」
「あぁ……」
突然の出来事に呆気にとられて口がぽかんと開く。
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ、いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたしますわ!」
それは手のひらに乗せられるような小さなチョコレート。なぜだかそれから、しばらく目が離せなかった。

「それではまた明日お会いしましょう、ありすさん」
「はい桃華さん、今日はありがとうございました」
「今度電車の乗り方も教えてくださいまし!」
「もちろんです!」
迎えの車で帰宅する桃華さんを見送ると、空はもう暗くなりかけていた。……私も帰ろう。

___

人の多い改札を抜けてホームで帰りの電車を待つ。今日は色々あったな。
『ですが、私はありすさんの方が大人だと思っておりますのよ?』
桃華さん、どうしてあんなにまっすぐ思いを伝えられるんだろう。すごいけど私には出来ないや。
『今度電車の乗り方も教えてくださいまし!』
ふと足元を見るといくつもの線。昔はこれ、どこに立てばいいか分からなかったな。それに人が多すぎてどこに行けばいいかも分からなかった。……でも今なら自信を持って桃華さんを案内できる。それがちょっと誇らしかった。
あ、電車きた。人多いな……

次は〜〇〇〜〇〇〜

やっと最寄り駅に着いた私は桃華さんに電車の乗り方を教えるのはお昼にしようと誓う。
「はぁ……」
やっぱり混雑した電車にはあまり乗りたくない。タブレットで読書できないし、なにより疲れる!それにしても本当に疲れた……。
人波についていくことを諦めた私は、一度身体を休ませるためにベンチに座る。すると、ぐ〜。軽くお腹が鳴った。……お腹すいたなぁ。あ、そうだ。もらったチョコレート。今の時間は__まだ夜ご飯までは時間がある。
私は仕舞っておいたそれを手に取ると、改めて落ち着いてじっと眺めてみる。……お返ししないとな。
「いただきます」
それはとても甘くて美味しかった。

「__ごちそうさまでした。」
空になった包装は折りたたんでポケットにしまっておいた。ただ捨てるのは忍びない気がしたから。もう一回ポケットに手を入れると、プラスチックの感触がかすかに主張して桃華さんの言葉を思い出させる。
『こちらこそ、いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたしますわ!』
(……お返し、しないとな。)
桃華さんだけじゃない。第三芸能課のみんなにも。

改札を抜けると、丁度いいところにコンビニが。
〜〜♪

普段は目もくれないお菓子コーナーに一直線、にらめっこを開始する。決して多すぎはしない、けれど悩むには十分なラインナップ。__チョコレートと言っても色々あるんですね……。みんなが食べることを考えるなら、甘いチョコレートの方が良さそう。あ、でも量が多かったらご飯が食べられなくなるかもしれないから小さいやつの方が……。う〜ん。

「ありがとうございました〜」
〜〜♪

___

「ただいまー」
家に帰った私を出迎えたのは明かり一つ無い廊下。前はその度に心まで暗くなっていたけれど、今日はむしろ好都合。私は腕に下げたビニール袋を片手にぱたぱたと自室に入る。そこで"片方の"チョコレートとビニール袋を置くと、"もう片方の"チョコレートを持って廊下を抜けてダイニングテーブルに向かう。……とりあえず一旦手を洗って、そして戻って付箋を貼る。ペンで文字を書いたらチョコレートの位置を目立ちにくい場所に移して__これでよし。後は帰ってくるのを待つだけ。内心のわくわくを隠すように何食わない顔で部屋に移動する。
……しばらくして。外から物音が聞こえる、帰ってきた。
「ただいま〜」

バレンタインデー。たとえ口が上手じゃなくても、いつもなら恥ずかしいことでも、チョコレートでなら気持ちを伝えられる。胸に秘めた想いを伝えられる。
もしかしたらバレンタインは、そんな人の味方なのかもしれない。

『ハッピーバレンタイン いつもありがとう』

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