自殺と他殺
自殺するくらいなら他殺するほうが
普通だし自然だと思うんだけども
それがASDだということの一端なのかな
でもASDは自殺率高いからまあASDのなかでも異端側かな
でも普通に考えて生き物というのは生きようとするものであって
なにかを殺して食らうのは普通だけど
自分を殺すのは凄まじく矛盾してるよね生き物として(細胞単位ではアポトーシスとかいうかっこいい名前の自死があるけど)
生きづらいと思ったらその生きづらさの原因に対して物理的有形力を行使しようというのが生き物本来のあり方ではないだろうか
ではなぜ他殺するよりも自殺するほうが簡単になっているのか
というかいつから他殺を自殺が追い抜いたのだろう
戦争中は自殺率が優位に下がるという話もあるらしいが
暴力がありふれているような社会では他殺>自殺なのかなぁ
やはりそうすると農業というものがすべての癌といえるかな
少数部族の狩猟採集民は幸せレベルかなり高いというし
人類全体の幸福を願うのであれば
農業を排斥して暴力によってすべて解決される世紀末な時代のほうがみんな幸せなのかもしれない
人というのは死が隣合わせな方がなんだか幸せを感じたり、自殺するような鬱屈を感じないのかもしれない。
ちょっと調べるとこんなのがあった。
すくなくとも他殺率が高ければ自殺率も高いなどということはなく。他殺率が高くても日本より自殺率は低い国がたくさんあるらしい。まあこれは人種ごとの遺伝的特性レベルの話かもしれないが。
世界で自殺と他殺どっちが多いのかはちょっとわからなかったが、最近アメリカですら自殺が他殺を追い抜いたらしい。喜ぶべきなのか悲しむべきなのか。
自殺が多い国と他殺が多い国どっちが一体マシなのか。
正直死にたいという気持ちはよくわかる。なんも良いことねえしなあ。みんな死ねばいいのに。そう俺の場合すぐ希死念慮が他殺もしくは鏖殺念慮にすり替わる、まあでも希死つまり「死を冀う」という点ではまあ似たりよったりかな。死は逃れられない、生きる限り。だから生きてる間、精一杯生きるしかないというお粗末な結論ですかね。
まあ俺の思い通りみんな死ぬんですけどね、初見さん。
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