何でもない日記―2023.8.9―

「しかしだね、ガッキー」
動画投稿サイトのタブを、ワンクリックで閉じる。普段俺が飲まないお茶のCM視聴を勧める超有名女優も、消える。
「スキップを押すだけが、広告回避の方法とは限らないのさ」
そう言って、動画配信サイトを開く。視聴履歴には、特撮作品が2つある。直近に見た方をクリックして、視聴画面が開いた。イヤホンから流れてくる音楽が語りかける。

この街には、涙は似合わない、と。

 最近は随分、肩と腰、そして何より視神経、おまけに右手にも負担をかけている。申し訳ないとは思うが、自分の体である以上使役されるしかない。身体は思考に、思考は社会に、社会は世界に、世界は宇宙に支配されている。諸悪の根源はこの星の発生だが、責任者がいないのだからグッと吞み込んでもらう事としよう。
 あそこに行きたい、とか。自分の本棚、上から二列目、左から十二冊目の本を今すぐ手に取って読みたい、とか。あてもなく普通列車に乗ってただ車窓を眺めたい、とか。そう思いながら、840年前の日記を読んでいる。この国にはそんな前から「日記」が存在しているのだ。但し、こんなくだらない事は殆ど書いていない。
 彼らは専ら、情報を後世に伝えるために日記を書いている。ように、見える。「この儀式では、誰々が参加し、門に配流順番はこれで~」とか、「この議題を話し合うのが良いかどうか、あの貴族と話してみた、あんまり取り上げない方がよさそうだったけど~」とか、そういう記述ばかりだ。
ならば俺もここに書いた方が良いだろうか。何を書こう。後世の人に資する日記として何を書けば良い?
 と考えて、俺の手は一瞬止まった。このメモ帳の背後には、美しい日本海の写真があって、さっきからチラチラとそちらに視線が移っている。さっきの、あそこに行きたい、を思った事の半分は、この写真のせいでもある。残り半分は、長くなるから言わないでおく。気が向いたら、非公開の「行ってみたい」に登録した地点でもお見せしようと思う。
 気がついたらこんなにも時間が経っていた。過ぎ去っていく日々は、あまりに速く自分を置き去りにする。右にも左にも、上にも下にも過去は無くて、大体視界の大半を今が埋めている。し、気づいたらそれは未来になり替わり、しかしそれに気づかぬまま、今として日々を受け取っている。こうしている間にも時間は進んでいく。本当はまた、貴族の日記を読む活動に戻らなければならない。この日記を編む事が、彼の子孫の為という大きな意味を持っていたのと同様に、俺が彼の日記を読む事は、自分の進む道を自分で切り開くために大きな意味を持っているからだ。
 今日はかつて長崎に住んでいた自分にとって、大きな意味を持つ日だ。苦しむまま、悲しむまま命を落とした人々に、ほんの少しでもその魂の行き場が安かりし所である事を、今生きる我々が祈る日だ。本当は毎日、少しでも考えるべきなんだろうけど、現代を生きる人々にはおおよそ、余裕が無い。
だからせめてこの日だけは、意識していてほしい。過ぎ去った過去の中にある傷の事を。
 そんな高尚な事を書く日記ではなかったはずだ。緩急をつけていかなければならない。次に91キロのスローカーブを投じなければならないのだ。
どうだろう、やはりこんな時間は無い方が良いだろうか?いやいや、もう結構頑張っている。しかしその頑張りは、結果論的に「頑張った」と証明されるタイプのものかもしれない。どっちだろう?どっちだろうね。
しかし、多少の閑話休題は許してほしい。閑話休題的な日記がこの世にあってもいい。閑話休題する暇がないからこそ、無理やり閑話休題する意味は必ずある。だろう。
 きっとこの日記を、電子の海のどこかで発見した後世の人は言うだろう。
「もう課金で何でも解決できる時代だったはずなんだけどなあ」
……ビバ!無課金!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?