太平記を読まないか? Vol.14~巻2-②「為明卿歌の事」~

[はじめに]

 こんにちは。今回は、前回に引き続き、鎌倉幕府の命令で捕縛された人々の動向を描く。本文は比較的短いので、サクサク読んでいこう。

『太平記』巻二「為明ためあきらきょううたの事」

[原文①]

 また、二条にじょう三位さんみ為明ためあきらは、歌道かどうの達(者)にて、月の様、雪のあした褒貶ほうへん歌合うたあわせ御会ごかいに召すされて、えんに侍る事ひまなかしかば、「叡慮えいりょおもむき、知らぬ事あらじ。たずね聞くべし」とて、づ召し取つて、斎藤に仰せ付け、「嗷問ごうもんして白状はくじょうあらば、関東へ注進ちゅうしんすべし。自余じよの僧達は、関東にて尋ねらるべければ、ここにては差し置くべし」と、六波羅の北のつぼに、炭を起こし、鑊湯炉壇かくとうろだんの如くにて、その上に青竹あおだけって並べ敷き、ひまあきたるより、猛火みょうか炎を吐いて烈々れつれつたり。朝夕雑色じょうじゃくぞうしき、左右に立ち並んで、為明ためあきらの手を引つ張り、猛火の上を歩かせ奉らんと支度したくしたる有様、ただ四重五逆しじゅうごぎゃくの罪人の、焦熱大焦熱しょうねつだいしょうねつの炎に身を焦がし、牛頭馬頭ごずめず呵責かしゃくに逢ふらんも、かくこそと覚えて、見るにきもは消えぬべし。

[現代語訳①]

 また、二条三位為明は、歌道に長けた者で、月の出た夜、雪の降った朝などに(帝も参加される)褒貶の歌合に呼ばれて、いつも宴席に伺候していたので、「帝がどのようにお考えだったのか、知らないはずはない。詳しく取り調べろ」と(鎌倉からの)命令で捕縛され、斎藤に「拷問して白状する事があれば、その内容を鎌倉へ急ぎ報告せよ。それ以外(為明以外)の僧達は、鎌倉で取り調べる予定であるから、ここでは取り調べなくて良い」と(鎌倉から)仰せがあった。このため、六波羅の北の中庭に炭を起こし、その煮えたぎる熱湯と真っ赤に燃えた炭火は、さながら地獄で罪人を罰するようであった。その上に青竹を割って敷き並べ、隙間からは激しく烈炎が噴き出ていた。雑役の下役人が左右に立ち並んで為明卿の手を引っ張り、猛火の上を歩かせ申し上げようと準備している様子は、まるで四重禁や五逆罪を犯した罪人が焦熱・大焦熱地獄の炎に身を焼かれ、牛頭馬頭からの責め苦に逢うというのもこのようなものであると思われて、見るだけで肝が消えるような心地だった。

※「褒貶」:衆議判しゅぎはんと言う、左右に並んだ参加者達の合議によって歌の優劣を決める形式の歌合。
※「牛頭馬頭」:地獄にいて、罪人を責め立てる獄卒ごくそつの者ども。その名の通り、牛頭は頭が牛で、馬頭は頭が馬の形をしている。両者とも鬼に区分される。

[原文②]

 為明ためあきら卿、これを見給ひて、一念を動かさず、時の天災力なしとて、少しも色を損せず、その気色けしきすずしくぞ見え給ひける。「さてすずりや候ふ」と尋ねられければ、白状はくじょうのためかと心得て、硯を出だす。白状にてはあらで、一首の歌を書かれけり。
 思ひきやわが敷島しきしまの道ならで浮世うきよの事を問はるべしとは
 常盤ときわ駿河守するがのかみ、この歌を見て、感歎かんたんきもに銘じければ、涙を流してに服す。東使とうし両人も、これを読んで、もろともに袖を濡らしければ、為明、水火すいかの責めをのがれて、とがなき人になりにけり。
 詩歌しいかは、朝廷ちょうていもてあそぶ処、弓馬きゅうばは武家のたしなむ道なれば、その習俗しゅうぞく、必ずしも六義数寄りくぎすきの道にたずさはらずと云へども、法性ほっしょう正しくげんあらわれて、感応かんおうの道起こり、時の災難をのがれけるは、この歌一首の徳によれり。されば、嗷問の責めをとどめける、東夷とういの心のうちこそやさしけれ。「力をも入れずして天土あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神きじんをあはれとも思はせ、夫婦の中をもやわらげ、たけきもののふの心をも慰むるは歌なり」と、紀貫之きのつらゆき古今こきんの序に書きたりしも、ことわりなりと覚えたり。

[現代語訳②]

 為明卿は、これを見なさって、心が動じる事もなく、時の天災もやむなしだと考えて、少しも動揺した様子を見せず、火を前にしても冷静に、平気であるように見られた。
「硯はあるでしょうか」
為明がそう尋ねると、(役人は)白状のためかと考えて硯を出して与えた。しかし、白状ではなく、為明は一首の歌を書いた。
思ってもみなかった、私の家業である敷島の道ではなく、俗世の事を詰問されるとは。
常盤駿河守護(北条範貞)は、この歌を見て大変に感動し、涙を流して。東使二人も、これを読んで共に袖を濡らしたので、為明は水責めも火責めも逃れて、無罪の人となった。
 詩歌は公家が興じ楽しむもので、弓馬は武家が嗜む道であるから、その(武家)の習俗が、必ずしも和歌の風雅の道に関係する事が無いとは言え、真実は正しく和歌に現れて人々の心を動かし、時の災難を逃れらというのは、この(為明の)歌一首の徳によるものだ。だから、拷問の責めを中止した、東夷の心は感心すべきものだ。
「力を使わずに天地を動かし、目には見えない鬼神をも感動させ、夫婦の仲も穏やかにさせ、猛々しい武士の心さえ慰めるのは詩歌である」と、紀貫之が古今の仮名序に書いたのも、道理であると思われる。

[解説]

 さて、今回の主題は何と言っても「和歌」だろう。後半部に書かれる「紀貫之が古今の序」と言うのは、皆さんお馴染み、平安時代の歌人で、「三十六歌仙」であり、「土佐日記」の作者である紀貫之が記した、日本最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」、その「仮名序」を指す。仮名序とは、このように始まる。

 ――やまとうたは、人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける。世の中にある人、こと・わざしげきものなれば、心に思う事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴くうぐいす、水に住むかわずの声を聴けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士もののふの心をも慰むるは、歌なり。

『古今和歌集』仮名序(適宜句読点を入れ、漢字かな交じり文としている。)

 今節では、この太字になった部分がほぼそのまま引用されている。なるほど確かに、為明の歌は、東夷あづまえびす≒「鬼神」をあはれと思わせたと言えよう。また筆者が、幕府の役人の計らいについて感心している事にも注目したい。長らく「宮方深重」の姿勢だった作者がこの役人に感心したのは、やはり「六義数寄」の道に携わっていないにも関わらず和歌に込められた思いが伝わったから、と考えられる。血気盛んで野蛮なだけでなく、このような和歌に動かされる「心」があるという点で、筆者に認められたのかもしれない。
 それでは今回はここまでとしよう。また、次回に。

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