何でもない日記―2023.8.15―

「大体ね、どうして縁もゆかりも無いような土地を好きになるんだ」
 と言うのは、俺に良く投げかけられる疑問だ。あ、ちなみに、「えん」も「ゆかり」も、漢字にすると「縁」となる。
 何故だろうか。自分でもあまり言語化した事がない。その必要も感じなかった。そもそも好きな気持ちをあれやこれやと、理由を並べ立てて言語化出来るのって、それ自体が一つの能力であるようにすら思うし、そう言ってしまうとその言語化が得意じゃない自分は「無能力者(レベル0)」って事!?
……いやいや。では古典的な問答法によって、俺の上越に対する気持ちを言語化する試みを展開してみよう。
Q.上越の魅力は何ですか?
A.やっぱり海! 日本海の美しさ! それに加えて、米山や火打山、遠く立山を望む事も出来る、山側の眺めの良さも見逃せない!
Q.それって別の地域―例えば酒田とか、金沢とかでも代替できるのでは?
A.いや~……でも上越には「日本海ひすいライン」(俺の一番好きな鉄道路線!皆乗ってね!)があるしなあ。
Q.なるほど。それじゃ、何で上越には歴史的な価値があると思うのですか?
※実は俺は日本中世史を専攻しているという事が、ごく一部で知られています!多分。
A.そりゃ!直江津は国府津だったし!高田は近代に入っても!
Q.でもそういう城下町って沢山ありますよね?
A.それはそうだけど……う~ん……。

 結局そんなにうまくいってない。こう、何か好きになるものにグッと引き寄せられる時って、感覚じゃないか!? それにほら、良く言うでしょう、「好きな気持ちを要素に還元すると他の物に代替可能性が生まれる」みたいな事。だって! さっきみたいに詰められが発生したら、結局「何かわかんないけど(アレコレあって)強烈に好きになっちゃったんだもん!」に収束して、「ほら、上手く言えないって事はさ……」系の最悪返事をいただく訳じゃないですか。上手く説明出来なければ好きじゃないんですか?
え~~~~~~?
本当にそうですか~~~~~~~~~?
でもそう言って貴方(任意の最悪返事するお前)、嫌いな人/物/カネの話で饒舌になった時は、「嫌い嫌いも好きの内」を引用するって事ですか!?
 ……なんだか微妙な気持ちになっている。なぜ日記で微妙な気持ちにならないといけないんだ! そう思いませんか? 日記って日々の総括だよね!? じゃ、総括します。とは言え、別に日記書きながら思ったことを新たに書いたっていいですよね。文語と口語が交互に(激ウマ押韻)交錯したって良いはずだよ!
 今日は靖国神社に参拝した。随分と暑かった。というか蒸し暑かったね。蒸籠の中にいたのかもしれない。ちゃんと参拝した。今年はとんでもなく暑い夏を迎えてるのに、沢山の人がお参りに来ていた。特に外見的特徴からは政治思想を滲ませていない、いわゆる「市井の人」が大半だった。しかしあの場所が、8月15日に、ただ厳粛に、静かに、穏やかに、戦没者の方々の事だけを思って、祈りをささげる空間になるには、まだ相当時間がかかりそうだ。それが残念でならない。戦没者の日記や、遺影、遺書と対面した時に誰が彼らの冥福を祈らずにいられようか。こんな事書いたら「右翼w」とか「右翼だね笑」とか言われるのかもしれない(政治に詳しいが野球に詳しくない人あるある:「え!中道手じゃないの!?なんで中堅!?」)。そういう人達にはFワードによって実力を断固行使していくしかない! そうじゃない? まあ同意しなくてもいい、但しNot for meでいておくれ!
 参拝帰りに神保町の一誠堂に立ち寄ったら、答えみたいな論文集①の販売確認後、即購入。ありがたい話だ。あそこは良い本が揃う(し、無料レジ袋に持ち手がついている!)。
 帰宅して漢文を読む。最近漢文の話しかしていないかもしれない。仕方ない。世界によって漢文を読むことが要請されているのだから、もう俺にはどうしようもない! 読むしかないのですよ、我々は。
 どうだ! これで日記の最低要件は満たしているだろう。今はと言えば、漢文を傍らに、かつて置いてきた気持ちと、辛うじて繋がっている関係を思って微妙な気持ちになっている。やっぱり微妙な気持ちになっている!
 しかしアレだね!
「百の言葉を以て語っても、一の至誠には届かぬ」という事なのかも!
 皆、早く寝なよ!

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