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推しがいる私 配信を憂う

私は田中圭くんが大好き!
昨年のクリスマスイブに舞台、「夏の砂の上」が配信された。つい先日も同じCSで配信された。
この大好きな治さん。観れば観るほど奥深くて、自分の気づきも増えていくし、他の方の解釈を聞くとそういう風にも考えられるのかと頷いたりして、観た人にそれぞれの解釈があるのがとても面白いし、それが舞台だなー、って思う。

好きなように解釈してください、ってところが、色んな思いにつながって、だから舞台は面白い。

そんな舞台。元々配信がないもの。生のものだから円盤の発売もないのが当たり前の世界。
だから今回のように配信があったのはとてもありがたくて、嬉しい。
色々な事情で行けなかった方もいるから、尚更嬉しい。

って、前置きが長くなってしまったわ。

そんな配信。
今私は圭くんの映画、「女子高生に殺されたい」の円盤待ちをしている。
配信済ではあるけれど。

先日初めてドリパスで再上演を観た。
久々だったこともあり、ヒガシーの苦悩が、ねじれた感情がものすごく伝わってきて、いけないと思いつつ応援したくなった。
そして、最後の何も覚えてないビジュアル通りの真っ白な世界にいる春人から真っ赤な世界に、ヒガシーに戻る様は圧巻だった。

配給会社によれば、販売がないとは決まってない、という曖昧な回答。
だから結局売るとも決まってない。

今の世の中、映像に限らず、漫画も、CDも配信、サブスク、気軽になんでも手に入る。
それはとっても便利なことだと思う。前はいっぱい買っていた漫画も、さすがに吟味し始めたし(床がぬけるw)、これはデジタルでいいかな、とかも思うようになったし(うわ、そんな漫画家さん、ごめんなさい)。

漫画はいざしらず、円盤は高いからね。アマプラなら500円だもんね。
そりゃ流行るよね。

配給会社にとっても、制作費もかからず在庫を抱えないという利点がある。

でもね、手元に残したいのよ。
特典映像が観たいのよ。
配信には期限があるのよ。

手軽さ、気軽さ、安さ、いつでも観られる、というメリットがある代わりに、決して自分のものにはならない、特典映像もない、期限がある、という、圭くん好きにはとても大きなデメリットがあるのも事実なのよ。

台湾はもう以前から映画は配信のみでセルがないと聞いた。

私は欲しいものは欲しいんだよ。
もちろん全部は買えないけどね。

CDもそう。
私はßźもミスチルもライブに行くほど好きだからもちろん買ってる。
そんな2組も配信もサブスクも共に始めている。
でもね、ジャケットとか歌詞カードが好きなのよ。
そういうのも含めて手元に置きたいの。

さらに言うなら、本もそう。やっぱり紙をめくって次どうなるんだろ?ってわくわくしたい。
めくる、って行為が好き。本の重みが好き。
最後の数ページになるとめくる準備をしたりして。うずうずしながら読むの。

今の若い子達は物欲がないって言われてるから、きっと手軽さに重きをおくんだろうね。
そして、この流行病で損失が多かった企業も少なくない。
映画業界もテレビ界もしかり。そして企業の狙い目は若者層。
全てがマッチしてるんだよね。

時代によって進化は仕方ない。
それはわかってはいるけど、昔を知るものとしたら、好きな推しがいるものとしたら、寂しいし、やっぱり「自分の物にしたい」と思うのは時代錯誤なのかなぁ…。

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