見出し画像

短歌への目覚め

#今年のふり返り

今やZ世代にも空前の短歌ブームだという。
但し、私は知らなかった。
普通に歌が詠みたくなったから。

きっかけはこのnoteの『推し短歌』だった。

私の家系は、亡き祖母、母と短歌に親しんできている。

母は9年ほどNHK文化センターにて短歌を学び、何度か朝日歌壇に掲載されたことがある。
だからコロナ禍に突入した際に母にすすめられ、いっとき短歌を詠んだ。
そして同歌壇に送った。
母に意見を聞きながら。

以前から私は母の歌の判定は得意だった。
それはイマイチ、それは全然、それはいいね、といった具合に。
そしてこの判断は合っていた。

だが、実際詠むのと判定するのとは雲泥の差だった。

しかも、お題を考えなくてはならない。時はコロナ。母の持病もあり巣ごもりだ。見る景色がない。
そして朝日歌壇に掲載される方はだいたい決まってきている。

やる気をなくした。

数年後、ここで『推し短歌』に出会うまでは。

田中圭くん好きとしては、推しのことを詠める!と血湧き肉躍った!

だが、踊りすぎて歌が先走った。
ろくなものが詠めなかった。ただでさえ猪突猛進な性格だ。無理すぎる。

そして今でも推し短歌は苦手だ。「好き」が先走るから。

そんなある日。

Twitter、いや、Xでバズって歌人になったという記事を目にした。

Xは既に圭くんのアカウントがある。
慣れている。
では短歌のアカウントも作ろう!
となるのは自然のことだった。

さすがに高尚な趣味というイメージがあったから、最初は恐る恐る始めた。
滞ってはいるが、『初心者の週末短歌』としてここで記録も残している。
備忘録として。
成長の証になればいいと思って。

初期なんてひどいものだ。

それでも、Xをすることで、皆がしている『うたの日』、そして自分で見つけた『うたたね』というサイトで題詠を詠み始め、すこしずつ表現力が出てきたのではないかと思う。
何しろ母が悔しがるくらいだから。

例えば『散』というお題が出されることで色んな情景が浮かび、自由詠より作りやすいということに気づいた。

そして量産。

9年間短歌のカルチャーセンターに通った母曰く、閃も大切だけど、その後の推敲も大切だという。

だが私は閃いたが最後、どうも推敲に長時間かけられない。だからほぼ即詠に近い。

ただし、歌が浮かんだとして練っても練ってもできない歌はダメな歌だとも言われた。

以下、母がカルチャーセンターで習った際に学んだことで心に残っていること。

短歌のルールとして、32文字まではいい。
『で』は汚いから使わない。
句またがりは57577の型を守ってするもの。
『〜しい』は使わない。
使われがちな言葉は使わない。

既に短歌を始めて久しい方はご存知のことばかりかもしれない。

最後の使われがちな言葉。
これは正に
『銀河』
『陽だまり』

といった言葉だ。
これは本当によく見かける。

「美しい」にしても、どう美しいのか、その美しさを自分なりの言葉で表現する、それが私の求める輝く言葉でもある。

ところでXで大抵の方が詠まれている『うたの日』というサイトがある。
ここは飛んだ歌が多い。そしてそういう歌が上位にくる。
それはそれでいいと思う。
そして間違えてもらいたくないのは、これは、決して批判しているわけではないということ。

ただし、私が目指しているのはそういう歌ではないとうだけのこと。
とはいえ、じっくり考える場としては適している。
なにしろ即詠しがちなのだから。
そして中には自分と同じ方向を向いている歌もある。
そういう歌には学ばせてもらっている。

私は前述したように、光る言葉がある、日常に潜んでいることを歌うことを目指している。
そこには比喩も必要だ。
前述したような歌は新聞では弾かれる。
なにしろ、経験者の母が言うのだから。

だから私はここで自分が求める歌を学ぶために詠んでいる。
たとえ評価が低くても特にめげずに詠み続けている。
それは目指しているところがはっきりしているから。

ちなみに私は2023年10月下旬から始めたばかりだというのに毎週日本で一番部数が多い「読売新聞」の「読売歌壇」、しかも「俵万智氏」に週一で応募している。
そしてLINEの「短歌」のトークルームに出せそうな歌をストックし、NHK短歌にもできる限り送っている。

なぜ始めたばかりの私が無謀にも俵万智氏なのか。
それには私を支えてくれるこのミスチル桜井の「終わりなき旅」の歌詞に要因がある。

高ければ高い壁の方が登ったとき 気持ちいいもんな
まだ限界なんてきめちゃいないさ

この言葉を胸に、私はこれからも詠い続ける。
少しずつでも壁をのぼって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?