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田中圭の役を生きる姿ー小浦治と正木竜之介ー

田中圭という役者は言う。
「お芝居はしたくない」と。
感じたままを、その場で掴んだものをそのまま表現するのが田中圭と言う役者。
そこで彼がよく言う言葉、「役を生きる」。
私はこの言い回しがとても好き。

なぜ今ここでこの話かというと、この2か月間、彼の生きた「小浦治」「正木竜之介」という二人の全く異なる人物を立て続けに観たから。

舞台、『夏の砂の上』に出てくる小浦治は、長崎の寂れた町に暮らすさえないおじさん。

いやね、さえないおじさんながらも、このおじさんを生きるにあたって鍛えていないとはいえ、タンクトップから出る腕筋とか胸板の厚さとか少しはらりと垂れた前髪とか、足の裏のトゥルントゥルンなとことか、足の指の爪がめっちゃ小さくてかわいいとことか、タバコ吸う指の綺麗なとことか、タバコを吸うカッコよさとか、そりゃ漏れ出る圭くんに双眼鏡ガン見したけどね。
前から二番目の時でさえwww

だからといって、それらはお芝居の邪魔はしない。
私たちは小浦治を観に来ているのだから。
いや、双眼鏡は覗いたけどねwww

でも、それでもずっと治さんに引き込まれっぱなしだった。

おそらく二人の子供を事故で失ったことで妻との関係は壊れてしまい、妻は同僚の元へ走るのよね。え、なんであの冴えない人に走るかな?という疑問は置いといて。
いや、ほんと疑問よ。
そんなこんなで可哀想な治さんは一人残され、元気いっぱいの妹に半ば強引に預けられた姪と暮らすことになる。

だからといって治さんは何も変わらない。
引き続き淡々と生きながら、乾きながら一日一日をやりすごす。
それがとうとうクライマックスで全身が潤い、これまでの治さんを払拭するかのような笑みを浮かべる。治さんを生きている圭くんが引き出した治さんの最大の笑顔。
ああ、これが本来の治さんだったんだろうな、と、その人間らしい治さんに感動もする。一番好きなシーン。
この笑顔から、明雄が生きていたころの幸せな時の治さんを連想させる。それもまた圭くんの役を生きる力で。
しかもそれがまた自然で。なんの誇張もなく自然な笑みで。子供のようにはしゃいで。これまでの治さんがあるから、この対比がまぶしくて。
その後また指を失くした治さんは淡々と生きることになるのだろうけどね。

一方、映画、『月の満ち欠け』に出てくる正木竜之介は一見スマート。
だけど、徐々に表れる狂気の顔。
正木が主人公ではないから、それまでの幸せな時間は描かれていない。
だからこそ、急激な変化に驚かされた。

実際圭くんもこの撮影について、有村架純ちゃんと出会った次の時にはもう嫌われていた、と言っていた。
圭くんの頭の中でどんなプランであの正木になったんだろう。
頭の中を覗きたくなるような豹変。

治さんと正木。
2人の生き方に共通点はない。
ただ、共通点といえば田中圭という役者が劇中でとてもリアルに2人の人生を生きているということだけ。

治さんは淡々と現実を受け入れ、あらがうこともせずに生きる。
結果、指を失くすという自体でさえもどこか他人事。
その様を田中圭という役者は見事に生きた。
鍛えることをやめ、うだつの上がらないおじさん、遠くない近い昔にこんなおじさんがいたんだろうな、というようなリアルさをもって治さんを生きた。

だからこそ、カーテンコールで田中圭、いや、圭くんに戻る瞬間がとても好きだった。
ある時はキュッと口元を引き締めた顔を、ある時は思わずこぼれる笑みで自分の出来をはかっているかのような顔をする圭くん。
一瞬にして治という役を脱ぎ捨てて田中圭に戻る、この瞬間が見られるのは舞台ならではであり、醍醐味でもあったのよね。

一方、そうしたシーンは観られないものの、この正木竜之介という男。これも一筋縄ではいかない人物だった。
思い出されるのはやっぱり『哀愁しんでれら』で見せた大悟になるよね。
彼も優しい王子様として表れて徐々に異常性の片鱗を見せていくから。

ただ、大悟と正木の違いは、その生き方にあると感じたのよね。
なにしろ、自分の裸体像を成長と共に描き続けるなんて普通では考えられないもの。そんな二面性を持ち合わせていたのが大悟。
対して正木はそもそもが敷かれたレールの上を生きてきた人物。
設計事務所の2代目として、人生設計も寸分狂わぬ生き方をしてきたであろう人物。きっとそのレールから外れないように真面目に生きてきたはず。
あの短い登場シーンですら、そんな背景を浮かべさせる正木に圭くんがしていたように思えた。

だから瑠璃に恋した瞬間から瑠璃との人生設計も描き始めたはず。
それが子供ができないという自体で狂いだす。
だって彼は設計会社の2代目。跡取りは必須なんだもの。

ここからの変化がすごかった。
あんなに恋する男性の優し気なオーラをまとって登場した正木。
もう立ち姿や目線でわかるよね、正木の登場だ!あ、恋している!って。纏う空気が違うもの。

だからこのほわんとした空気感をまとった正木から、ピンと張りつめた触れてしまったらこちらが怪我をしてしまいそうなほど鋭い空気感になる正木がリアルで怖くて素晴らしくて、美しかった。

舞台と同じくタバコが小道具で出てくる。
でも全然違うの。
タバコを吸わない私ははっきりとはわからないけど、一種の安定剤なんだろうね。
だから、治さんのそれは哀愁を、切なさを表す小道具として使われているように見えたし、指からくゆる煙は慰めるようにも励ますようにも見えて、治さんを温かく包み込むようにも思えたの。
それに対して正木のそれは、自分のイラつきを、見ようによっては冷徹さをも伴うような横顔を引き立てるような小道具に見えた。
だから氷のようにぴんと張り詰めた透明な空気に対して、タバコの煙が正木の指からくゆることで、その透明な空気に白くもやがかかり、正木のイライラが瑠璃に対して分散していくように見えた。

ウィスキーの蓋を投げつけるにしてもそう。
グラスを投げつけるにしてもそう。
全てその物に正木の心がのっているかのようで。
転がる蓋に、砕け散るグラスに。
この辺りは前のnoteに書いたので省くけど。

いずれにしても、同じ小道具のタバコでこうも違うのか、という場面だった。それが役者田中圭の役の生き方なんだな、と改めて恐れ入るし魅入ってしまう。

だからこそ、自分が追いかけたせいで瑠璃を死なせてしまった正木の後悔は、会社をも倒産させ、あの一人何もなくなった部屋で瑠璃が歌っていた歌を聴くシーンのあの顔に表れているように思えた。

カセットテープの再生を押す指ひとつにも正木の血が流れている。
瑠璃を想うように、そっと押すその指が好きだ。
失ったものの大きさに、会社も倒産するほどのショックに気付くその顔も好きだ。
人生設計を大事にしてきた正木の人生を、人生設計を、大きく狂わせた瑠璃の死。
そして手に持つのは瑠璃の手帳。
そこに書かれた瑠璃の字に、自分には見せなくなったあのいちご鍋の缶を見つめた時の瑠璃の微笑みを思い出したに違いない。
切ないのよ、この時の正木は。
儚いのよ。
前のnoteで書いたように色んな感情が垣間見えもするけれど。

そうかと思えば、転生した瑠璃を見つけた正木に宿る狂気。
鋭い目で今の瑠璃を追いかける正木。
この車の中に、車内全体に、狂気にあふれているような正木の目がとても好き。ゾクゾクした。

ソフトな切り口と鋭い切り口を併せ持つ正木。
それを田中圭と言う役者は生きた。
それも自然に。
あの映画が私の中でとんでもファンタジーだったから、この正木にとてもリアルさを感じた。
素晴らしかった。

1月からは日テレの水10の常葉朝陽。2月からはアマプラの森下一浩と立て続けに年明けに新たな田中圭が生きる2人が観られる。
こんなに嬉しいことはない。
こんなに嬉しい2023年の幕開けはない。
また違う顔を見せてくれるだろう。

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