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一度目の転機

note 4日目・・ ウェディングプランナーとして怒涛のスタートを切った2006年

そこからはとにかく毎日の記憶がないくらい 仕事に没頭
仕事も覚え始め 後輩もできてきたり 少しじつ自信もついてきた頃
私の身体が少しづつ崩れ始める
ただその身体の不調にも気づかないくらい忙しい日々を送っていた

毎日24時過ぎに帰宅して 土日は早朝に出社する。
実家暮らしだった私のことを 両親は心配しつつも 
何も言わないで支えてくれていた。
感謝しかないんだけど・・・
この仕事は幸せのお手伝いというとっても素敵な一面があるもの
自分を犠牲にするっていう一面もあって・・
こんなこと言ったら夢も語れなくなっちゃうかな。
だけどそれが本音。
あの当時は 何も疑わず これまで仕事に没頭していることがおかしいとも
思わなかった。

ある日 玄関で夜中帰宅した途端 バタッと倒れた私は
気づいたら 両親に車椅子を押してもらってた。
この頃は なんとなく頭が痛いっていうのがずっと続いていて
でも頭痛薬でごまかしていて。
そんな形で 身体が限界にきていた私。
体調が悪いと仕事にもミスが出始めて このままじゃいけないなと思っていた時
当時付き合っていた彼との結婚が決まった。
そして 両親が会社に電話して 退社することも決まった。

表面的には 寿退社のような感じだったけど 本当は体調不良による離脱・・・
そのあと自分の結婚式をしたけれど こんな状況だったから殆ど記憶が無い・・
結婚式の仕事をしてるのに 自分の結婚式のこと覚えてないって・・
本当残念な人間。。。でもここが私にとって一番のどん底だった。

そんなこんなで 会社も辞めて専業主婦に。
ただ 不完全燃焼だったところもあって 1ヶ月後には就職活動を始めることに。

そして 何故だか 求人サイトの検索バーには 
「ウェディングプランナー」と入れている自分がいた。
あれだけ苦痛な日々を過ごしたはずなのに なんでだろう 
まだやりたいと思っている自分がいた。
そんな姿に 旦那くんも両親も呆れていたけど 結局は応援してくれることに。
やっぱりこの仕事が好きなんだね。と(笑)

一度目の退職から3ヶ月後
また 私のウェディグプランナーとしてのセカンドステージが始まった。

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