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自分を愛するということ

自分自身を一切否定せずに、丸ごと受け入れ、自分のことが大好きな状態のことを言う、のではないと言うこと:


自分を愛すると言う感覚を言葉にしようとすると力が入って構えてしまう感じがするものだけど
どちらかと言うともっと自分の意識の方が高みへ広がっている感覚だろうかなと思う


視点が高く、オープンで軽やかなマインドで、大きな心で自らを眺め、肉体の自分のいる場所を丸ごと他人事のように優しく照らす眼差しと調和する…とか言うのはマニアックすぎるのだろうか☆


うまくは言えないけどどちらかというと

自分自身を否定しててもいいし、自らを丸ごと受け入れられてなくてもいいし、自分のことが大好きにはなれなくとも、そんな自分すらをも愛おしく微笑ましく眺められる状態 のことを言うのではないかなと思う。

そんな感じがしている。


愛おしい愛猫や愛犬や愛おしい我が子や孫を眺めている感覚で、自らのことも愛おしく可愛らしく微笑ましく健気っちゃんに見えてくる場所というのか
意識の方がそちらに近いところにあること、というか。


好意的に思えない自分すらも、到底自分のありのままが見えない今この瞬間からも、自意識の外側から自分を眺めて見ること。それ自体が愛と共にある状態なのだろうと思う。

茶化すとかチャラけると言う感触のものでもなくて、

愛おしいく愛くるしい存在、大丈夫のかたまり、とでも言おうか◎


自分で自分の光を隠そうが、夢希望を切り離そうが、ひねくれて閉じこもろうが、何も欠けない、価値を失わない完全なものだって知っている場所からの眼差し。


その本来の、生まれた時のニュートラルでフラットで光そのものだった自己認識も生まれた環境や背景、育った人間関係、自分の持っている装備や使命などで様々なゲームストーリーを作り出す。


どんな場所にどんな装備と使命や役割を持って生まれてきたとしても、やはり目指すは『自らを愛すること』だろう。

そしてそう生きる人の姿は光となって人や世界をも照らすだろうこと、その愛が溢れて響き合うのだろうということ。


目を覚ます感触で。


最初に大切なのは相手との関係性ではなく、自分自身との関係性であること、

感情や自我や欲や自意識の外側から自分を眺められる視点に気づくこと、

そして自分の前に広がった世界を美しい愛でいっぱいにすること、


その感覚が信じられない時も信じられない自分をありのままに俯瞰しては、高く温かい視点と共にある感覚をなるべく素直に受け入れる。


素直に信じる



誰でもそう在れる。


って感じます◎












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