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自己認識に基づいた世界

目の前の現実世界で起こっている現象は自分自身の中にある思いこみやフィルターによって引き起こされる、らしい:


ということも確かに言えますように思う。


例えば、例えばだけど、どこぞかの店員さんに異様に雑に対応されたですとか、同級生に蔑ろにされたとか、親や家族にいつも否定されている、、だとかも

実際にそう感じられる所作は存在したのかもしれないが、、そんな風に見えた、という現象を『自分の現実』として採用するにはどうも怪しく、突っ込みどころは満載で、真相は定かではなかいのではなかろうかと思える。


自己認識や、自分の基本設定?セルフイメージ?というのでしょうか、
そのように雑に蔑ろに『対応される自分』というものが自分の自己設定の中に確かにかたまりのように存在していると、一つの現象を見ては、そのように認識してしまう、という仕組みのことだらぅ☆

反対に、そんな風に対応されたり扱われる自己設定が自分の中にそもそも無ければ、そのような外側の出来事に対しても、あれ?そうなの?具合悪かったのかな?というくらいにしか気にはならないのだろうと思う。


例え誤解されたり、否定されていたとしても気がつかない、又は気付いてもそこまで気にはならないというもの。また、逆も然りで どんなに人に受け入れられていても、どんなに愛されていても、これまた自分の意識設定が違うとそこにも気づかないと言うものも起こるだろう。


つまり当然、自分の意識の中にある設定というものが自分の現実として目の前に広がっているように現れるのだろうし、そこの設定自体に気付く為に起きたり、何度も再生されるということはどうしたってあるのだろう。


本当は特に意味も持たないニュートラルでフラットな現象に対してすら、目を奪われ、心奪われ、引っかかったり落ち込んだりするのだろうし

そんな風に自分側にフィルターがかかっていて、自己設定があって、自己認識というものがあって、自我があって、三次元の現実を生きているわけで。


そんな自分の設定に冷静に気付いては、またフラットな視点に戻り、

また三次元の現象と戦ってはまたフラットな視点に戻り、を繰り返している。

自分はこんな自己設定を持っていたのかと、俯瞰で捉え、気付いたなら、もっと本当はどんな自己設定だったら心地いいのか?安心するのか?満たされるのか?ということで。


自分の好ましくなかった設定に気付くと、本来の前向きなイメージとか心から楽しい自分というものについては割ともう気付いていることが多いだろうとも思われますが、

だんだんそのうちに、自分を本当に暖かく見守ってとにかくどんな自分をも愛おしく軽やかに見つめ、冷静にあるがままを捉えられる視点に気が付くプロセス、と言うものがあると感じている。

自分の罪悪感にすら温かく、自分の強迫観念や潔癖や悪趣味や異常な偏りにすら、腹のそこから温かく笑って見守れる そんな視点、

そこにある自己設定は極めてニュートラルで、せき止めるものも無く、ただただ開かれていて、その瞬間瞬間を生きるエネルギーそのものなんだろう。

個であり、孤独ではない、心地の良い広がり。



とは言え、かたまりみたいにしこりとなった思い込みやフィルターはきっと完全に無くなる事はなくて、常に浮上しては手放し、浮上しては書き換え、と繰り返してゆくのだろうとも思う。


自分の設定や自己認識自体に、古くなったり心地よくない思い込みや理想でないもの、を見つけては、さらに自分の中での設定を自由に想像したり、書き換えたりしてゆく。

そして、そういう設定を自由に書き換えるという選択を新たにする力を必ず人間は手にしているはずだし、

今現在の自分の設定より自由度の高い人や場所や世界観を直接的見たり触れたりする事もさぞかし有効だろうとも思う。ハッキリとしたヴィジョンで見せてくれる感じがする☆


そうやってアンテナを立てていると、そこら中に自分では超えられないでいた自分の当たり前の設定というものを余裕で超えている存在は転がっているように思う◎


自分の前に広がっている世界が本当に豊かで自由で無限で愛おしいものだと感じられる視点と調和していられたらそれはそれは自分自身に対しても冷静に安心感と共にいられるのだろう。


つまり、やっぱり、今現状の自分をいつもいつも俯瞰で切り取っては寄り添い、見つめることをずっとずっと繰り返してゆくこと。
心のどん底から、クスッと笑えて力が抜けてくるくらい、現実を生きている自分を優しく眺め、愛おしく感じられれば自然と自己認識というものも変容していく。


目の前の現実は、自己認識の上に成り立っているとも言えようか。


勘違いのセルフイメージや理想ではない自己設定に気が付く為に起こっていることもあるだろうと思うし、自分の理想や望みに気付くために起こっているだけの物事もたくさんあるのだろう。


いつでも、自分の側の設定が変われば現実は変わる。

と思うのです、




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