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【エッセイ】御殿と料亭と私

 Facebookで、岡山県在住のKさんとお友達になった。共通の友人に、倉敷市在住のT医師がいる。
 「普通以下のおばさんですが、よろしく」と自己紹介メールを送って下さったので、私もT医師との御縁などをからめ、自己紹介をメールさせていただいた。
 音楽家でもあるT医師とは、世界的尺八家でいらした故横山勝也先生を通じて知り合った事、声楽専攻だった私は、学生時代、日本の音楽にも精通していたいとの思いから、尺八を勉強していた事。横山先生は「自給自足で、大自然の中、修行出来る場を作りたい」との夢をお持ちで、それが現実となった場所が岡山県美星町であった事、そのお手伝いで何度もかの地を訪れた事などを、書き綴った。
 すると、Kさんは「その尺八家のおうち、今は料亭になっています」と返信して下さった。美星町は、彼女の庭だった。


 地元の方の信頼を得るには、東京に居を構えていてはいけないと、先生はご家族諸共、岡山県に住民票を移し、「尺八御殿」と言われた御自宅を建てられたのだった。
 何度も伺った先生のお宅が料亭に!
 早速ネットで確認(便利な時代です)。
 出るわ出るわ、あの懐かしい先生のお宅のお写真!皆で記念写真を撮影したお玄関、何度もお食事をいただいたリビング。
 あの暑すぎた夏に流した、滝のような汗の感触と共に、次々と多くの想い出が甦ってきた。
 音楽祭や講習会は、毎夏、夏休みに開催されたが、道産子かつポッチャリ体型の私には、まさに殺人的環境と言っても過言ではなかった。スタッフとして、参加者として、健気に走り回っていた自分が愛おしい。
 地元の方々は、どの方も素朴でお優しく、用もないのに御殿に集っていた。御家族は、大変な思いをされたと推察されるが「人の集まる家は、良い気が巡るから」と、先生はいたって大らかでいらした。
 週末には広場で開催される市でのお買い物も楽しかった。中でもやはり、盛夏にかぶりつく桃は格別で、この為ならどんなことも頑張れるぞと、思われた。


 それにしても、人間の脳の不思議。
 Kさんにこのスイッチを押されなければ、思い出されることのなかった記憶の数々。
 その記憶の中の自分に励まされる。
 蘇る恩師の言葉に励まされる。


 さて、今この時なら、先生は何と我々を鼓舞して下さったろうか。
 没後10年を経てもなお、不肖の弟子を気にかけて下さる、恩師とはなんと有難いものであろうか。

●随筆同人誌【蕗】掲載。令和3年1月1日発行。

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