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【Story of Life 私の人生】 第75話:対人恐怖との葛藤

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第74話:退院 〜 再起の時 をお送りしました。
今日は、対人恐怖に陥ってしまった頃のお話をしようと思います。

退院して2週間くらい経った頃、家の近所の銭湯で、私のアトピーを見た女性(多分30代位の方)から、突然「うわ!これ(アトピーの事)、変な疫病じゃないの?感染ると嫌だから、こっちに来ないでくれる?」って大声で言われて、心が完全に折れてしまった私。
湯船に浸かることも出来ず、シャワーで頭と身体を洗って、逃げるように帰宅し、家に帰ってからずっと「もしかしたら、私は自分が全く気づいていなかっただけで、今までもずっと他の人からそんな目で見られていたのではないか?」と思うようになり、他人がどう思っているのかということばかりが常に気になり、頭から離れなくなっていきました。

その頃アトピーの症状は、ほぼ全身に出ていましたが、特に酷かったのは顔と首、手の甲と指、膝の後側だったのですが、服で隠すことが出来ない場所ばかり。
そんな状態だから、尚更「私の姿は、他人に不愉快な思いをさせてしまう位、気持ち悪いものなんだ」と思い込んでいました。
用事があっても外に出ることが本当に嫌で、可能な限り部屋で引きこもるようになっていました。
近所の買い物に出て、人に接するだけでもとても怖かった。

そうは言っても、生活は掛かっているし、このままずーっと「引きこもって」いる訳にはいかないということは分かっているから、どうすれば良いのか、悶々と考えてばかりいました。
出掛ける時は、「人目が怖い」から、なるべく電車やバスを使わず、バイクや自転車で移動するようになっていきました。

そんなある日、池袋の西武百貨店に行く用事があり、1階の化粧品売り場を歩いていたら「クリニーク」の美容部員さんから呼び止められました。
顔と首のアトピーを見て「この会社の化粧品は、皮膚科学から生まれたものだから、必ず治る」と力説されました。
藁にもすがる思いだったから、「これでアトピーが治るなら」と、言われるがままに、何と基礎化粧品のフルラインアップをお買い上げ!

家に帰って、教わった通りに使い始めましたが、当時の私には刺激が強すぎたのか、アトピー症状は逆に悪化してしまった(泣)
それでも「好転反応だ」と言われていたから、その後も暫く我慢して使い続けてみたものの、最後は顔から「血が出る」状態になり、結局は皮膚科のお世話になる羽目になってしまいました。
「アトピーが治る」と信じて大金をはたいたのに、全く効果がなくて、かなり落ち込みました。

皮膚科で治療してもらったお陰で「顔から血が出る」状態は良くなったものの、ステロイド軟膏で効くものは何も無かったから、結局アトピー症状は改善されない。
精神的にもかなり参ってしまいました。
そんな時、彼と退院後初めて会う事になり、退院後の出来事を話す事が出来ました。
「人が怖い」という話をしたところ、彼が以前通っていたことがある、今でいうところの「メンタルヘルス系の財団法人」が主催している勉強会に行ってみたらどうかと勧めてくれました。
病院やカウンセリングというよりは、自分の行動や気持ちを書き出して「向き合う」ことと、同じような仲間と体験をシェアすることで「あるがままの自分」を受け入れていくことを身につける、といった「神経症」に対する「行動療法」として確立されているということを説明してくれました。
もし、これで効果が無ければ、精神科や心療内科に行けば良いと言ってくれ、問い合わせ先を教えてくれました。
彼が同じような「悩み」を持っていたということに、少し驚いたけれど、気持ちを理解してくれたことが何よりも嬉しかったです。
早々に事務局に問い合わせをし、2週間後から始まるコースに申し込みをしました。

「学習会」と呼ばれるその講座は、毎週1回、1回3時間の2ヶ月間コースでした。
神経症を克服された講師の先生が2名と、最近のコースを終了された「世話人」と呼ばれる先輩2名にサポートしていただきました。
同期の受講生は8名で、老若男女、会社員や主婦、自営業の方など、様々な方がいましたが、このクラスでは私が一番の年少でした。
また、同時期に平日の夜間にも講座も開講しているとのことで、場合によっては「振替」の方が来ることもあるとのお話がありました。

ノートを2冊用意して、講座の日から次の講座の前日までの「日記」を書くことが日課で、その日の出来事、自分の行動や感情をどんどん書き出していき、次の講座で講師の先生に提出。次回までにコメントやアドバイスを書いて戻してもらいました。
講座は、各人の体験のシェアがメインで、講師の先生や世話人の方だけではなく、受講生同志を含めた「ディスカッション」形式で進められました。

最初の頃は「自分は、この中で一番のダメダメ人間だ」と思っていたから、人前で自分の事を「発表」するのも憚られていました。
ただただ「他人からどう見られているのか」「他人からどう思われているのか」「他人から馬鹿にされているのではないか」という感情に支配されていて、全てが他人軸になっていました。
でも、講座の回を重ねていくうちに、他の受講生さん達とも仲良くなっていき、皆さんそれぞれ「苦しんでいること」や「辛い思いや悩み」があるのだということが分かってきました。
そして、自分の「悩みや苦しみ」は、他人が解決してくれるものではなく、あくまでも「自分がどうするか」なんだ、ということが、少しづつ分かってくるようになり、「誰もが、一番苦しいのは自分だ」と思い込んで、この講座に参加しているんだなと思えるようになりました。

講座も2ヶ月目に入ると、日記のフィードバックや、シェアのディスカッションの内容が、頭の中にスーッと入ってくるようになってきました。
いつまでも「他人」に対する「妄想」で苦しんでいる自分が、だんだんアホらしく思えてくる様になってきて、コンセプトである「あるがまま」の意図が、頭の中では理解出来てきて、少しだけど「自分軸」に戻すことが出来るようになりました。
相変わらず「人が怖い」のだけど、いつまでも「逃げていちゃダメだ」と思うようになり、あれだけ逃げていた「近所の買い物」や、家での「引きこもり」から、少しづつだけど脱却する行動に移すことが出来るようになっていきました。

気が付くと、あっという間に2ヶ月の講座が終了。
毎週会っていた同期の方々と、今後会う機会が減ってしまうことがとても寂しかったです。
講座終了の時、講師の先生方から「2ヶ月間行ったことを続けることが大切」というお話がありました。
講座を再受講するのではなく、各地域で毎月行っている「集団会」という会合に参加することを勧めていただきました。
それぞれの会には、幹事さんや世話人さんといった「先輩方」がいて、各自の体験をシェアし、ディスカッションしていくという方法を継続学習出来るとのことでした。
「へぇ、そうなんだ!」と思っていたところ、講師の先生から「お話がある」と呼び止められました。
この先生は、当時、この法人の事務局長をされていた方だったのですが、私に対して2つご提案をして下さいました。

1つは、次回の学習会の「世話人」をお願いしたいということ。
もう1つは、事務局で週2日アルバイトをしないかということでした。
学習会の世話人は、完全なボランティアなのですが、時間だけは持て余す程あるし、継続学習のチャンスでもあるし、自分が体験した2ヶ月間を踏まえた上で受講生さんと関わることで「対人恐怖」との対峙になるということで、快諾しました。
アルバイトの方は、会誌の発送に関するお手伝いや、雑用がメインとの事でしたが、社会復帰に向けた「リハビリ」として、体力的に無理のない程度でやってみないか?ということで、「安いけれどお給料は出すよ」という、とても有難いお誘いでしたので、こちらも快諾させていただきました。
暗く辛かった2ヶ月間から抜け出し、希望の光が見えたような気がしました。

対人恐怖の症状が完治したり、消えたりはしなかったけれど、5月から事務局とかなり密に関わるようになっていきました。
そのお陰で、沢山の出会い、沢山の経験や学びをすることになります。
このお話は、次回にしようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第76話:リハビリ生活 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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