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【Story of Life 私の人生】 第80話:結婚後の日々 

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第79話:まさかの結婚 をお送りしました。
今日は、結婚後の生活についてお話をしようと思います。

気弱になってしまった母の一言をきっかけに、お互いの生活習慣も分からない状態で、かつ価値観などを見極める前に「打算」で結婚してしまった私。
4月に2世帯で団地に入居してからは、食事、洗濯、風呂は実家で済ませていましたが、結婚を機に洗濯機を購入し、お風呂は自分の家で入ることになりました。
でも食事については、母の強い希望もあり、2世帯一緒に実家で食べるようになりました。
また母は、3人分のお弁当を作って持たせてくれたので、とても助かりました。
旦那さんはシフト勤務だったから、泊まりの勤務の日は出かけるまで実家で過ごしてくれ、また夜勤明けで帰宅するとすぐに実家に行って、母の話し相手をしてくれるようになりました。

私の方は、7月からは出向している先輩方の「下請け仕事」でプログラミングをするようになったため、残業もかなり多く、夕食は殆ど一緒に食べることが出来なくなっていきました。
旦那さんは、夜勤の日以外は両親3人で一緒に夕飯を食べる日々。
私は、帰宅すると実家で夕食のおかずをもらって自分の部屋に帰り、家で1人で食べるようになっていました。
私よりも、旦那さんの方が、両親と一緒に過ごす時間が圧倒的に多く、この頃になると、どちらが「本当の子供」なのか、全く分からなくなってしまっていたような気もします(汗)

母はその後、夏と秋に、抗がん剤と放射線治療のため、2週間程度の入院を2度しましたが、その後は2週間に1度の通院だけになりました。
母の入院中は、旦那さんが夜勤明けの日に病院に顔を出してくれました。
彼はシフト勤務だったことで、父や私が出来ないことを請け負ってくれて、とても有難かったです。

母は、最後の入院後、病院の勧めもあり、同じ病気を持つ方々の支援団体である「オストメイトの会」に入会し、交流会やお花見、日帰り遠足などに参加するようになりました。
集まりやお出かけの時は、皆さんにお弁当を作って持っていくようになり、少しづつですが、以前のような明るさを取り戻していきました。

両親と旦那さんが仲良くなってくれたことは、とても良かったのですが…
私と旦那さんに関して言えば、結婚するまでの間、お互いに1人暮らしを満喫してきた訳ですが、いざ一緒に暮らしてみると、生活習慣の大きな違いや、価値観の大きな違いがあり、ちょっとしたことで喧嘩するようになっていきました。
ゴミをゴミ箱に入れない、脱いだ服は洗濯機に入れず、床に置きっぱなしなど、掃除が苦手な私でも耐えられない位、部屋を散らかす…
残業が終わって帰宅すると、部屋中足の踏み場が無いというような状態になっていて、毎日うんざり。
些細なことなのかもしれませんが、いくら片付けても、少し目を話すと元の木阿弥状態で、日に日にストレスが溜まっていきました。

彼は下戸で、お酒を飲まないし、共通の趣味も全くなし。
私は夜間集団会の幹事を続けていたけれど、彼は人と交わって行動することが好きではなく、集団会活動に全く興味はなし。
私の方は、仕事後や集団会後に、懇親会に参加してから帰宅することが多々ありましたが、旦那さんが夜勤の日は不在だから問題ないけれど、家にいる日は帰宅すると「酒臭い」と嫌な顔をされました。
私の友人達が「一緒に食事に行こう」と誘っても「酒飲みの集団には行かない」と断られる始末。
ここまで価値観が合わないと、もう「夫婦」というよりも「共同生活者」という方が正しい状態。
それでも、人間的には良い部分もあるし、両親と仲良くしてくれていることに対しては、完全に頭が上らない状態だったので、戸籍上は「旦那さん」だけど「お兄ちゃんと一緒に住んでいる」と、だんだん割り切るようになっていきました。
そうすることによって、当時の私は自分のイライラやストレスを、少しでも減らす努力をしていたと思います。

唯一、一緒に行動出来たのは、電車を使っての旅行くらい。
国鉄職員とその家族だから、電車も宿もかなり安い料金で利用することが出来たので、休みが合う時は、遠出したりしました。
と言っても、観光を楽しむというよりは「電車に乗って、ぼーっと過ごす」だけでしたが、それでも別の土地に足を運ぶのは楽しかったです(笑)
結婚した年の夏は、夏休みと結婚休暇の残りで、一応「新婚旅行」として、SLで萩・津和野までいきましたっけ。

10月に入ると、私も出向社員として、先輩達と一緒に客先に常駐勤務するようになりました。
平日は、出向先の仕事が目一杯で、お客さんの許可が出るまで帰宅させてもらうことが出来ず、終電に間に合わない事もしばしば。
タクシーを使って帰宅することになっても、会社からは「残業になるのは、お前の能力の問題」と言われてしまい、残業代もタクシー代も一切支払って貰えませんでした。
お陰で、私の給料の半分以上が、深夜タクシー代に消えていきました。
また、いくら深夜に帰宅したとしても、翌朝は9時前に客先に出社しなければならない訳です。
当時は、最寄り駅までバスで15分。
仕事先までは、電車を2回乗り換える必要があったので、朝7時前のバスに乗らないと間に合わないから、睡眠時間は3〜4時間弱という生活になっていました。
そんな状態だったから、出向生活になってからは、実家で夕食を食べることは全く出来なくなり…
それでも、朝食だけは両親と一緒に食べるようにしていました。

また当時、私の勤めていた会社は、規則上「週休2日制」ではありませんでした。「仕事に支障がなければ休んで良い」ということになっていましたが、本社での雑務は「新人女子」の仕事として与えられていたので、結局は土曜に出社して片付けることになり…
「先輩達は土日休みなのに、理不尽だなぁ」と思いながらも土曜日に出勤して、雑務仕事を片付けていました。
日曜日は、日々の寝不足がたたり、朝からグッタリ状態で…
昼前に布団から出ることが出来なくなりました。
起きてからは、掃除と洗濯などの家事で、気がつくとあっという間に夜になっていて…
そんな生活は、翌年3月末まで続くことになります。
今になって思えば、思いきり「ブラック」な会社でしたね(笑)

12月のとある日曜日のこと。
その日、旦那さんは夜勤で、午前中に家を出て仕事に行きました。
私は、いつものように昼過ぎまで寝ていて、起きてから掃除や洗濯といったルーチンをこなし、昼食に鍋焼きうどんを作って食べたのですが…
数口食べたところで、突然気持ち悪くなり吐いてしまったのですが、その時に血も一緒に吐いてしまいました(驚)
何が起きたのか咄嗟に分からず、しばし呆然としていました。
この時点で病院に行けば良かったのに、仕事は休めないし、少し様子を見ようと思い、結局、翌週の甲状腺の定期通院まで我慢してしまいました。
思い起こせば、数ヶ月前からみぞおちのあたりがシクシクしていたのですが、寝不足のせいかな?くらいにしか思っていませんでした。
この日を境にして、何か食べるとすぐに気持ち悪くなり、食べ物と一緒に血を吐いてしまうことが多くなりました。

翌週の女子医大通院時に、主治医の先生に「血を吐いた」とお話ししたのですが、あまり相手にしてもらうことが出来ず…
胃薬とビオフェルミンを処方されただけ。
通院は2週間ごとだったのですが、診察にいく都度に、胃の不調をお話しをしても「気のせいじゃないか?」と言われ、何度も胃薬を変えてもらいましたが、症状は一向に回復しません。
こんな「押し問答」のような状態が、4ヶ月位続きました。
その間に、出向先は変わりましたが、勤務形態はほぼ一緒の状態。
3月に入る頃には、食べ物を食べられない上に、睡眠不足、ストレスで、私の身体は、かなり限界状態に近くなってしまいました。
そんな状態になって、やっと「胃カメラ」を飲むことになったのですが…

検査結果を見た先生の第一声は「こりゃ酷いや!」
結果は、胃潰瘍と十二指腸潰瘍の併発でした。
このまま放っておいたら、穴が空きそうというところまで悪化している状態。
あのー、私、4ヶ月間も症状を訴え続けていたのですが(泣)
どうして、いつもこうなってしまうのだろうか??
まあ、通常はこの状態なら救急車らしいけど、吐血が続いていても、普通に「外来通院」していたことで、深刻そうに見えなかったらしいです…

仕事の状況と、生活の状況を説明したところ「この状態が続いたら、完全に穴が空く」と言われ、退職か休職することを強く勧められました。
色々と考えた結果、その時私が出向先から受けていた仕事の納期が3月末だったから、なるべく早く仕上げて納品して、会社を退職することにしました。
主治医の先生が診断書を書いてくれたので、翌週会社に、退職願と診断書を一緒に提出し、納期前に確実に納品することを前提にして、3月末日で退職することに決まりました。

社会復帰から丸1年。
その間に母の癌発病に手術、私の結婚、会社では外部に出向、深夜残業の日々、吐血に胃と十二指腸潰瘍発症、最後は退職と、目まぐるしく変化した、忙しい日々だったと思います。
辛いこともありましたが、沢山の社会勉強も経験することも出来たし、楽しい事もありましたから、これもある意味「良い経験だったなぁ」と思う今日この頃です
会社を退職した後の4月以降、私の生活がどうなっていったのかは、次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第81話:新たな挑戦 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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