見出し画像

【Story of Life 私の人生】 第81話:新たな挑戦

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第80話:結婚後の日々 をお送りしました。
今日は、ソフトウエア開発会社の退職後のお話をしようと思います。

胃と十二指腸潰瘍を発症したことで、ソフトウエア開発会社は丸1年で退職することになり、3月末が最終出社となりました。
翌日からは、仕事に行かなくて良くなり、好きなだけ「眠っていられる」という幸せを味わう日々が始まりました。
食事に関しては、母が全面的に支度してくれるから、私がすることは家の掃除、洗濯くらい。
それ以外の時間は、とにかく「身体を休める」ことだけを考えれば良い。
今までの習慣で、朝5時に目が醒めてしまいましたが、2度寝でも3度寝でも、好きなだけ布団の中で眠れるという幸せ♪
お昼前に起き出して、洗濯機を回しながら、旦那さんが散らかした部屋を掃除する。
会社に行っていた頃とは違い、細かいところまで掃除する暇があり、部屋はいつも気持ち良くピカピカ♪
旦那さんがどんなに部屋を散らかしても、時間はたっぷりあるから、イライラすることがあまり無くなりました(笑)
家事が一段落すると、春の柔らかなお日様の光に包まれながら「ああ幸せ♪」と言いながらお昼寝したり、お散歩に行ったり。
今までと180度正反対の時間を満喫する日々を過ごしていました。

1週間くらい経ったある日、急に思い立って美容院にいくことにしました。
今までは、休みが日曜だけだったし、疲れ切っていて美容院に行く気力がなかったから、1年以上髪を切らずにいたのですが、心機一転し新しい生活への「はなむけ」と「気分転換」を突然したくなったのです。
当時、背中まであるロングヘアだったのですが、思い切りバッサリ切ってもらい「ベリーショートヘア」にして貰いました。
美容院の担当の方に「本当に良いのですか⁈」と何度も聞かれましたが、迷いは全く無くて(笑)
結局40センチ位バッサリ切ってもらい、かなりボーイッシュな印象になりました。

美容院を出た時の清々しさと、頭の軽さは、今でも忘れられません。
翌日、夜勤明けで帰って来た旦那さんは「あ、すみません!部屋を間違えました‼︎」と言って、慌ててドアを閉めて外に行ってしまいました(爆)
部屋が間違っていないことを確認して、再度戻って来ましたが、私をマジマジと見てしばし唖然としていましたっけ(笑)

「このまま、専業主婦も悪くないかな」と思えたのは、最初の2週間だけで、いい加減「好きなだけ寝る」ことに飽きてきてしまいました。
掃除も毎日好きなだけやっているから「磨く場所」がなくなり、こんな毎日が退屈に思えるようになっていきました。
たまたま在職中の1月に、4月中旬に行われる「第二種情報処理技術者試験」の受験申し込みをしていたので、試験日までの間は、過去問題集に取り組んで時間を潰して過ごし、翌週の試験に臨みました、

ところが、試験会場でトラブルが発生!
試験申込時に写真付きの願書を提出しており、当日は免許証などの公的証明書で本人確認をすることになっていたのですが、髪の毛をバッサリ切ってしまったことで、超ロングヘアだった1月の写真とは「別人28号」状態な訳です。
当然、照会用に提出した免許証の写真もロングヘアだったから「代理受験ではないか?」と疑われてしまい、試験開始直後に別室に来るよう、試験官から呼び出しされてしまいました!
免許証だけではなく、持ち物全てを調べられ、最終的に「本人確認」が出来たので、席に戻って受験させて貰えましたが、確認までに20分位時間を取られてしまいました(泣)

たまたま得意な分野が多く出題されていたし、プログラミング問題も、Fortran77とCOBOLを選択して、何とか終了時間内に全部解答することは出来ましたが、何とも後味の悪い1日となりました(怒)
後日談ですが、試験結果は、試験を受けていたことすら完全に忘れていた、7月初旬に届きましたが、とりあえず無事に合格していました(笑)
これをもって、私のプログラマー生活は、完全に終止符を打つことになりました。

情報処理試験の翌日、会社から退職に関する書類一式が郵送で届きました。
健康保険は任意継続を選択したので、その日のうちにバイクに乗って社会保険事務所に出掛けて手続きをし、新しい保険証を発行して貰いました。
今回は丸1年働いたから、離職票と失業保険申請についてのリーフレットも一緒に入っていました。
前回会社を退職した時は、傷病手当を貰っていたから失業保険の申請をしなかったので、今回が生まれて初めての失業保険の申請手続きです。
管轄の職安は池袋ということで、翌日必要書類一式と写真を持って、手続きをしに行きました。
旦那さんは、この日はお休みだったのですが、職安が物珍しかったらしく「社会科見学」として、一緒にくっついて来ました。

書類を提出して、担当の方と面談したのですが、その時に「仕組み」を詳しく教えてもらうことが出来ました。
今回は、自分が病気を理由に退職したから「自己都合」退職なので、実際に失業保険を貰うまでに3ヶ月の「待機期間」があることを知りました。
また、待機期間中も求職活動をし続ける必要があり、職安から指定された「認定日」の指定された時間内に、書類を持って来なければならないことが分かりました。
この他に「説明会」等にも参加しなければならず、結構「面倒だな」というのが最初の印象でした。

最初の面談が終わると「求職手続き」をするように言われ、別の担当の方と面談することになりました。
ここでは担当の方に、今までの仕事の内容説明と、次の仕事の希望を聞かれました。
コンピューター業界は人手不足だったこともあるのですが、担当の方から「プログラマー」の仕事を5つ位紹介して頂いたのですが…
経験者だから、お給料はそこそこ良かったのだけれど、また身体を壊すのは「真っ平御免」だったから丁重にお断りしたところ、備え付けの「求人ファイル」を見て、自分がやりたい仕事を探してくるようにと言われ、ここで面談が終了しました。

面談が終わってから、求人ファイルを見てみました。
プログラマーを除外すると、当時の私だと「一般事務」くらいしか選択肢が無かったのですが、ここで更に問題が発生!
「一般事務」は、学歴が高卒の場合は20歳まで、短大卒で22歳までという年齢制限が付いていたのです。
私は専門学校の中退が2回だから、最終学歴は「高卒」だけど、その時既に23歳だったから、応募要件を満たさないことが判明し、かなり焦りました。
少し考えてから、「じゃあ、23歳でも応募出来る職種は何か」と、再度ファイルを見直してみました。
そこで分かったことは「日商簿記3級」さえ持っていれば、22歳以上でも応募可能な会社が沢山あるということでした。
そこで思いついたのが、情報処理の勉強をしたTAC。
会計で有名な学校だから、簿記検定講座は当たり前のように開講している訳です。
「思い立ったら吉日」とばかりに職安を後にして、その足で神保町の三省堂(当時はここが本校でした)に向かいました。

受付前に並んでいる講座パンフレットから、簿記検定講座を探したところ、6月検定対策講座が2つが並んでいました。
1つは「3級受験対策講座」で、授業は週に2日、1コマ2時間で2ヶ月。
もう1つは「3級・2級速習講座」で、授業は週に4日、1コマ4時間で2ヶ月。
受講料は、どちらも5万円でした。
時間だけはたっぷりあるし、速習の方が金額的に圧倒的に「お得感満載」だから、迷わずこちらを選択して、その場で申し込みをしました(笑)
テキストと問題集を渡されましたが、分厚いテキスト3冊に、テキストの倍くらい分厚い問題集3冊で、ビックリ!
また、ちゃんとした「電卓」が必要なので、これもお買い上げしました。
授業は、次の日曜日の朝9時からスタートすることになりました。

高校を卒業してから、臨床検査学校で2年、栄養学校で半年勉強し、その後は財団の事務局で庶務1年。その後はプログラマー1年で、今度は簿記。
リハビリ生活中に、母の希望もあって「調理師免許」は取得しましたが、プロとして通用するレベルではないから、仕事に使うのは論外だし(爆)
「計算するのは嫌いではないから、何とかなるだろう」と、講座を申し込んだ時に思っていたのですが、ここでまた新たな挑戦をすることになりました。
結果として「簿記」が、その後の私の生活の糧となった訳ですが、この時の挑戦が全ての始まりでした。
正直なところ、勉強はかなり辛かったです…
次回は、速習コースで学んでいた頃のお話を詳しくしようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第82話:簿記検定までの道のり に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?