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「さみしい」「さみしい」「さみしい」「こっち見て!」と小さな私が叫んでいる

数年前、「自分軸確立ワークショップ」というものに参加しました。

正直に言うと、自分探しをしたかったわけでもなく、単に私の学んでいた講座の延長にこのワークショップがあり、受講後には自身で開催できるようになるというので参加することに。

講師が言っていた「自分軸」というのは下記のものです。

”【自分軸】とは、「自分らしさ」とも言えますが、さらに言うと、あなたから余分なモノをはぎとって、最後に残る芯のようなものです。

つまり、なぜ、そのビジネスをやっているのかという理由、強い思いです。

そして、それは、あなたが持って生まれた宿命、あなたが育ってきた環境、いろいろな出来事・経験によってでき上がったストーリーであり、あなたご自身の中にしかない、独自の価値の源泉なのです。”(講師の言葉から引用)

仕事が大好きでやりがいをもって取り組んでいた私にとって、どんな自分軸が出てくるのか、期待していました。

そして、出て来た私の自分軸は「こっち見て!」でした。

あまりのちっぽけな自分軸にがっかりを通り越してショックだったことを覚えています。

さらに、この自分軸を発見できたからといって、どう仕事に生かせばよいのかわかりません。

ただ、確かにこの「こっち見て!」という叫びが私の根底にあることを認識しました。そして、妙に納得もしたのです。

「こっち見て!」というのは、大勢の注目が欲しいわけではありません。

たったひとりでいいんです。

そして、そのひとりというのは母でした。母の注目が欲しかった。これに尽きます。

私は3人兄弟の真ん中に生まれ、実家は楽器屋。母は午後7時まで店番をして、そこから家に帰り、夕飯の支度です。

当時、いつも父の知人が家に来てお酒を飲んでいました。母はその人たちのためにも料理を作ります。私の実家ではビール瓶をケースで届けてもらっていて、月に7万円かかっていたと聞いたことがあります。

うちは呑み屋で食事処でもないのに。

母は店から帰り、台所で立ちっぱなし。私は母から「もっと食べなさい」「早く寝なさい」としか言われたことがない子どもでした。

自分が母になった今なら、うるさい子供たちにはとっととご飯を食べて早く寝て欲しかったのだろうと想像することができます。

しかし、当時はそんな母の気持ちを理解することもなく、私は働きっぱなしの母の背中ばかりを目で追っていたのです。

定休日が水曜日だったため、平日はもちろん学校が休みの日も母は家にいませんでした。

平日はランドセルを家に放り投げ、校庭に戻り、男の子たちとサッカーをやっていたのでさほど寂しくはありませんでしたが、休日になると友達はみな親と過ごすため、遊び相手がいなくなります。

家でひとり手芸をやったり、お人形で遊ぶという子ではなかったため「誰か遊ぶ人いないかなあ」とひとり外をぶらついていました。

私の小さな頃の思い出の象徴は、なぜかそのぶらぶら誰かを求めてさまよっている上記の光景です。

さみしかった。でも、母に言えなかった。

母は店があるので、参観日にも運動会にもほとんど来てはくれませんでした。

母がいない参観日でも、元気な声で手をあげ、目立とうとしました。

「啓子ちゃん、よくやってたよ」と誰かに母に伝えてもらいたくて。

中学生になって、母がよくテレビでバレーボールを見ていたので、バレー部に入りました。

当初同じ学年に30人ほどの部員がいましたが、レギュラーになるために、休まず(ジャンプ力をつけるために)いつも飛び跳ねていました。その甲斐あって自分たちの代になったときには、すべての試合にレギュラーとして出場しました。

それでも、一度も母は見には来てくれなかった。

その想いが深く深く残っていて、「こっち見て!」なのです。

母の注目が得られないと悟った頃から、「こっち見て!」の対象がその時に好きな先生に変わりました。

その先生の注目を得るために、勉強を頑張ったり、宿題すら出ていないのに授業の内容を表にまとめていったり・・・おそらく同級生たちからは白い目で見られていたと思います。

そして、大人になるにつれ、その対象が恋人へと変わります。

この感情が昇華されたのは、子どもが生まれてからです。

赤ちゃんは私のことしか見ていないですものね。

そして、シングルマザーとなって働き始めたので、娘たちに同じ思いをさせました。娘との恋話を聞いていて、彼との関係に小さな頃のさみしさが影響していることを感じることがあちらこちらに。

悪いことだとは思っていませんが、その想いに切なくなります。

ただ、私も母のことが大好きで、感謝の思いでいっぱいで、嫌な思い出なわけではないのです。でもいつまでも残るこの想い・・・

そして、仕事の面で考えた時に、私は常に育ててくれた師匠のような人がいて、その人に認めてもらいたくて、評価してもらいたくて、どんなに大変なことがあっても「こっち見て!」が自分を支えてきたと思います。

そして、仕事の中で私がいつも言っていることは「目の前のひとりひとりのお客様に寄り添って」ということ。つまり、その人のことを見ることだということに気づきました。

私の心の叫びだったのですものね(笑)

心理学を学べば学ぶほど、これは相手に求めることでなく、自分の中で解決するものだと示唆されることでもあるんですけど(これはまたいつか)。

そんな小さな子どもの頃の叫びを、今の自分がしっかりと受けとめてあげられたらいいですね。











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