見出し画像

約束の春

東日本大震災から10年がたちました。
あの時イタリアから、PCの画面に映し出された日本の太平洋沿岸沿いに広がった津波警報の赤い線を見ながら、原発事故の状況を追いながら、「帰る国がなくなってしまうかもしれない」と生まれ初めて思いました。
家族も友人も失わず、まったく被害に遭わずに外国にいる自分に罪悪感を感じました。

そして、何ともいえない緊張状態と無力感。
やがてそれは、怒りに似たものに変わっていきました。

日本は終わった、と繰り返す報道に。
東京は汚染されているのにまだ人が住んでいる、と書いたイタリア人ジャーナリストに。
食品中の放射線物質に関わる基準値が日本より10倍も緩いイタリアに住みながら、日本の食べ物の方が汚染されている、と言いはる人に。

私にできるのは、機会を見つけては「そうではない」と言い続けることと、そして、自分の中に溜まっていた得体の知れないものを漫画にして吐き出すくらいでした。

画像1

「SAKURA」という仮題で漫画を描きました。震災の翌年に描き上げ、「Les cerisiers fleurissent malgré tout(何があっても、また桜は咲く)」というタイトルでフランス語版が、「La promessa dei ciliegi(桜の約束)」というタイトルでイタリア語版が出版されました。

画像4

もうすぐ桜が咲くはずだったのに、見れないまま逝ってしまった多くの、あまりにも多くの人たち。
人は、本当にいつ死んでしまうかわからない。
いつ何時、何が起こるかわからない。
なのに、「また来年桜を見に行こう」って当たり前のように言う。
たくさんの約束をし続ける。
それは、生きていくためなのかもしれない。

そんなことを書いた漫画でした。

震災の後、毎年日本に長く戻るようになりました。
できるかぎり両親や大切な人たちに会っておこうと思ったのです。
いつか会えなくなってしまう時がきても、後悔しないように。
できるだけ。

東北にも何度か行きました。

画像2

どうせ何もできない私だから、せめて食べて飲んで旅をしよう、と。
両親も、イタリア人の夫や友人たちも、ひっぱっていきました。
震災の翌々年に知り合った岩手の方とは、縁あって今もまだ交流が続いています。
何もできないけれど、会いに行くと喜んでくれるのが、本当に嬉しいです。

10年たった今年、日本への帰国が困難になりました。
会っておいてよかった、本当に。
でも、きっとまた東北へ遊びに行きますよ。
今度は桜の時期がいいですね。できれば私の両親もいっしょに。

約束の春です。

画像3






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?