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甘くない玉子焼き

平日は毎朝、娘のお弁当用の玉子焼きを焼いている。
うまくいったり、いかなかったりしている。
最初は小さな丸いフライパンで焼いていたけれど、そのフライパンの端のほうを焦がしてしまって。使えないわけではないけれど、そこだけどうしても焦げ付いてしまうから。
いまは玉子焼き用の四角くて大きいフライパンを使っている。

それで焼くにはどうしても卵がふたつは必要となる。じゃないとうまくいかない。ただでさえへたくそだし。
卵二個を、わたしが、その大きいフライパンで焼くと細長い玉子焼きができあがる。
そのうちの一切れ二切れは、毎朝、わたしの口に入ることになる。

たぶん、甘い玉子焼きは焼いたことがない。
子どもの頃のお弁当に入っていた玉子焼きは、いつも、おしょうゆ味のしょっぱい茶色い玉子焼きだった。好きだった。
たぶん母も甘い玉子焼きは焼いたことがないんじゃないかな。
おかずなら、やっぱり塩っ気がいい。
甘い玉子焼きもきらいなわけではないけれど。

朝っぱらからお出汁だなんだなんてかまっている余裕はないから、ゆかりちゃんやあかりちゃんやひろしくんのお世話になることが多い。あと、ガラスープの素とか、めんつゆとか。
だから味はそれほどわるくないと思う。
なにせ最初から整っているわけだから。
巻き方は相変わらずのいまいち。
でも、へたはへたなりに最近少しコツをつかんできた。
うまく巻けたときはうれしい。

なんか、その。
玉子焼きを焼くことと文章を書くことを、いい具合に喩えて書こうとしていたのだけれど、うまくいかなかった。
ゆかりちゃんたちにお世話になっているというクダリはわたしの文章力をうまく揶揄っている気がしないでもないけれど、残念ながら解説はできない。
ただのへたくそな玉子焼きの話になった。

頭の中にもやっと在るものを、形を整え、きちんと並べて文章にするって、本当に難しい。だいたい失敗する。思っていたようにはならない。
じゃあ、やめりゃあいい、って。
いや、だって、書いて保ちたい。

なんて不純な動機。

文章も、少しはましに、せめてうまく焼けた日のわたしの玉子焼き程度になることを願って止まない。
無理やり喩えてみた。
娘以外、わたしの焼いた玉子焼きを見たことある人なんていないのに。

なにかと、先が思いやられる。
たぶん、真ん中が抜けている。
すかすかの玉子焼きは、潰れて平べったい。



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