やさしい春巻き
お祭りのボランティアには参加しなかった。
社長の急な思いつきで、ベトナムからやってきた技能実習生ふたりは、地域のお祭りで、手作りのベトナム料理を振る舞うことになった。
休日出勤扱いにするべきだという一部の意見は無視され、彼らも含め参加者はみな、ボランティアということになった。
数日前からタイムカードの横に置かれていたボランティア参加の可否を表明する名簿に、わたしはなんの印も付けなかった。
締め切りの翌日、娘と同い年の同期入社の女性が、名簿のわたしの欄にバツ印をつけておいたけれど大丈夫だったでしょうか、と訊いてきた。わたしが印を付け忘れていると思い、気を回してそうしてくれたらしい。
どうしてわたしがなにも記さなかったかを簡単に説明し、気を遣わせてしまってごめんね、ありがとう、大丈夫だよ、と返した。
ボランティアに参加する、という意思や意志を示すことはあっても、ボランティアに参加しない、できない、というそれらは、わざわざ誰かに示さなきゃならないものではない。
参加人数を把握したければ、希望者が○印を付けるだけで十分だ。
万が一、なにか問題が起こった場合、誰が責任を問われるのか。
彼らは参加を負担に感じていないか。
気がかりはすべて、個人的に、各所に確認してまわった。
納得したうえで、わたしは参加を希望しなかった。
だって、もう。
とことん疲れていた。
お祭りが始まって一時間ほどしてから、クーリッシュのバニラ味とレモンスカッシュ味、あと、グレープフルーツ味のアイスボックスを差し入れした。
コンビニとお祭り会場の往復は、酸素吸入器を付けた家人に頼んで車を出してもらった。彼は、とくに嫌な顔もせず引き受けてくれた。
わたしが少しでも職場に馴染めるよう、気を遣ってくれたのだと思う。
ベトナムからやってきた彼らは、わたしが見る限り、会社にいるときより楽しそうにしていた。
テントの下の簡易テーブルの上には、彼らが作った揚げ春巻きとソースが、日差しを避けて並べられていた。
入社以来、事あるごとにわたしを名指ししたり睨みつけたりしていた資材部の女性が、ありがとう、きのうは何時に帰ったの、と話しかけてきた。
言葉が出ず、うつむいたまま、ただ小さく笑うだけのわたしの顔は、醜くひきつっていただろう。
差し入れは、名簿になんの印も付けなかった日からずっとそうしようと考えていた。
同時に、そこにいるであろう彼女になんと言ってやろうかと考えていた。
口汚く罵ることはしなくても、静かに、深く、冷たく、傷つけてやろうと思っていた。
いつだったか、午後の休憩時間の喫煙所で、わたしと目が合った途端、さみしい、と日本語で小さく漏らしたベトナム人の彼が、強い日差しの下、少し疲れた笑顔で、不意にわたしの背中にそっと手を添えた。
ボランティアに参加せず、なんの手伝いもしていないわたしに、そうして、テントの下の特等席をすすめてくれた。
わたしは辞退した。
ありがとうの言葉と、資材部の彼女に見せたのとは別の精一杯の笑顔で。
そうして、わたしは、頭の中をいっぱいにしていた言葉を飲み込んだ。彼女に向けた静かで深く冷たい言葉を、すべて。一息に。
それから、わたしは、春巻きの材料に甲殻類が使われていないかを確認し、彼らが作った春巻きとソースを二人分受け取り、そっとその場をあとにした。
飲み込んだ言葉は、まだ、のどの辺りに引っかかっていた。
息がしずらいと感じるほど、いまもどこかに詰まっている。
そういえばあの時、二人分の春巻きを受け取った時、わたしはちゃんと、ありがとう、と言っただろうか。
あとから思い返して、思い出せず、悔しくて、情けなくて、なみだが出た。
春巻きの味なら思い出せるのに。
噛み砕いた春巻きは、すうっと、のどをゆるやかに通っていったのに。
彼らの作った春巻きは、小さくきざんだ野菜とひき肉がいっぱいに詰まっていて、とてもとても美味しかった。
ソースを付けなくても、やさしいやさしい味がした。
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