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あいしてる

外はよく晴れているようだ。
天窓に切り取られた青空には雲ひとつなく、さわさわと鳴る音が聞こえそうなほど竹の葉が大きく揺れている。
室温が設定温度を優に超えたヒーターが止まり、しんと静まり返った屋内には、いぬの静かな呼吸音だけが一定のリズムで流れている。

鼻の調子が悪く息が苦しくなるのか、ときどき、一定のリズムがはあはあと乱れる。
蒸しタオルで乾いた鼻先を濡らしあたため、ピンセットや綿棒でそっと異物を取り出す。大きな鼻くそが取れると、嫌そうにしていたいぬも、いぬの呼吸音もまた落ち着く。
きのうの夜から、その繰り返し。

食べられるなら食べさせた方がいいんだけど。
覚悟の足りない夫は思い出したようにそうつぶやくけれど、水を飲むのもやっとになったいぬの口をこじ開け、食事や薬をねじ込むのはもうやめた。それを繰り返してきたわたしが、そう決めた。

立ち向かうのはもうやめたんだ。
そう言うと叱られるだろうか。
そのままを受け入れる、いや、受け止めることにした。
それは決して諦めじゃない。わたしはそう信じている。

なにをするにも、傍を離れなきゃならないことがあるたびに、待っててね すぐ戻るからね 待っててよ、と繰り返すわたしを、いぬは、そんなことはわかってるよ、と笑っているだろうか。そうだといい。
洗濯物を吊るすたび、流しの前に立つたび、便座に腰掛けるたび、わあとなみだが溢れてくる。そうしなければ、そうしたって、胸が潰れそう。


いかないで。
それはもう願わないことにした。
きみが決めたとおりで。きみのとおりで。
それでも、なみだは溢れてきてしまう。
そんなわたしを、きみは、かあちゃんはダメだなあ、と笑っているだろうか。
そうだといい。

きみはいつも笑っているいぬ。そのままで。
そうだといい。



─最愛の傍らで─




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