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4章希望ゼロの20代⑩命の限界

大学生の頃、自宅療養中で寝たきりで長年、
リウマチを患っていたの祖父(父の父)が
祖母と母と私の目の前で朝、息を引き取った。

昨日まで普通にベッドから笑いながら、私と普通に
話していたのに…。

家族の死

その朝祖父は食事中、小さなリンゴの欠片を
うまく嚥下できず、呼吸困難になった。

長年のリウマチの闘病生活や薬漬けの毎日で、
祖父のすべての臓器がとても弱っていて、
食事を飲み込む食道の動きも知らない内に
ドンドン衰弱していたのだ。

すぐに駆け付けたご近所の医師の蘇生措置は
祖父を救えず、母と祖母と私で静かな最期を
看取り、呆気ない命の終焉に立ち尽くした私…。

この祖父の突然訪れた死は、とてつもなく私に
大きな出来事で氣づきを与える転機だった。

生きる事と死ぬ事は、表裏一体で生死はオセロの様に
表裏の「命」のワンセット。
いつか私も祖父の様にこの世を去るんだ…。

葬儀

毎日生きている事は全然、当たり前なんかじゃない。
「いつか私も死ぬ時が来る!」と命の限界と
生命体としての現実を強く意識させられた。

だからこそ「いつか私も死ぬ時後悔がないよう、
今日を精一杯生きなきゃ!」と激しく深く思った。

一人っ子で王様の様に育てられた祖父は、
食べモノの好き嫌いが激しく、ワガママを全て
叶えられる環境が当たり前で、嫌いなモノは
一切食べず一生を終えた。

家の中で絶対的に権力のある、祖父の嫌いなモノは
長男の嫁である母はちゃんと心得ていて、
祖父の嫌いなネギ類を食卓に出さず、
祖父のご機嫌を損ねない様に祖父用・大人と
子供用の食事を毎食3食手作りしてた。

祖父の死は、病と食べ物の関係、癒やしについて、
命や心理学について、私は深く興味を抱き始めた。

当時の大学の専攻であった経済学で、ゼミを選んだ
財政学にはもう、私の興味は限りなくゼロに近く
単位を取るだけの履修科目で、卒業までの時間を
埋めるだけのつまらない対象と化した。

「生きる」って?

中学2年生(14歳)の時、私が夜グッスリと
寝ている間に、老衰で97歳の曾祖母(祖父の母)が
亡くなった時は、あまりに突然で呆気なかった。

明治生まれの曾祖母の口癖は「私は誰の世話にも
一切ならん!」で、常に和服を着て少食で、
髪をキュッとお団子にして結い上げ、毎日
身綺麗に整えている、静かでココロ穏やかで
優しい人だった。

曾祖母は自然なカラダの加齢と共に、苦しみのない
老衰で自然な死を迎え、病気で寝込む日は1日もなく、
口癖通りの97歳の大往生を迎え、私の死に方の理想を
体現してくれた。

だが祖父の死は多感な大学生の私に、目の前で
生死の瞬間を見せられ、強烈なインパクトを与え、
その葬儀は、心身呆然としたまま執り行われる間、
私のココロは一時停止状態で、涙も出なかった。

呆然

祖父の死は、大学生の私の心にモヤモヤした
闇の思いを最大限に増大させていた時期と重なり、
自分のこれからの生き方を改めて真剣にそして、
真面目に考え直す、深く大きな衝撃を与えた。

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