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長野の温泉に沈められ、思わず涙が出てきた日のこと

先日、家族5人で長野に住む親戚を訪ねた。

6歳、3歳、0歳を引き連れての旅行は想像以上に大変で、車の中はぎゅうぎゅうだし、家では常に大騒ぎだし(だいたいいつも誰か泣いている)、楽しいけれどクタクタ。

温泉でちょっとでも疲れを取ろうかと、5人でぞろぞろ、地元の人が通う温泉へと向かってみた。

とにかくこどもが騒ぎませんように

6歳の長男を夫に任せ、0歳と3歳を連れて入った女風呂は、一見して地元のおばさま、おばあさまばかり。一番手前の水風呂の縁には、眉にくっきりとアートメイクを施したおばあさまが腰かけ、鋭いまなざしをこちらに向けていた。

一気に高まるアウェー感。

とにかく、こどもが泣いたり騒いだりしませんように。
そう祈りながら隅っこに座ったものの、地元密着型の温泉にベビーバスが完備されているはずもない。左手で首の座っていない乳児を抱きながら、右手で3歳児を洗うという状況に、思わず「え、これ無理」とつぶやいた。

乳児を床に置くわけにもいかない。
3歳児を洗わず湯舟に入れるわけにもいかない。

自分を丁寧に洗うことを早々にあきらめ、なんとか右手ひとつでシャンプーを泡立てながら娘の頭をゴシゴシしていた時に、水風呂の方から声が聞こえた。

「何カ月?」

水風呂にいたアートメイク眉のおばあさまが、私の膝の上にいる乳児の年齢を尋ねているらしいと気づくまでにすこし時間がかかり、次の瞬間、「怒られるかも!」と考えていた。

この思考パターン、育児中の母親の習慣的反射ではなかろうか。
「いま自分は、迷惑じゃないか?」
外にいると、ついそんな風に思ってしまう。3人産んでずいぶんずぶとくなったと思っていたけど、旅先+地元の人ばかり+温泉というアウェー環境での緊張もあったのかもしれない。

こんな小さい子を連れて温泉に来るなって言われるんだろうか。
オムツ取れてない子はダメだった?(そういう温泉もある)
よくわかんないけど、早く出たほうがいいのでは!

「あ、3カ月です」
と答える前に、いくつもの「すみません」が脳裏を駆け巡った。

とっさに頼った「持っててやろうか」

でも、次にかけられた言葉は、私の予想とはまったく違うものだった。

「そんなんじゃ、あんた、洗えないだろ。持っててやろうか」
おばあさまはそう言うと、水風呂から上がってこちらへやってきたのだ。

想像もしない展開。

助かる!これで自分も洗える!
という喜びと
いやいや、迷惑でしょ。断るべきだよね?
知らない人に赤ちゃんお願いしちゃって大丈夫?
などの躊躇いが、これまた一瞬で頭の中に浮かんだ。

が、とにかく私は疲れていた。

子ども3人での車の旅や、狭い車中でのオムツ替え。3歳女子のイヤイヤ期に6歳男子の反抗期。日々の寝不足。
久しぶりの旅行、久しぶりの温泉なんだから、少しはのんびりしたい。

最終的にその気持ちが勝り、「お言葉に甘えて、抱っこしていただいていいですか?」と、乳児をおばあさまに差し出してみた。

まるまるムチムチのうちの子を胸に抱くと、おばあさまはクールに「お、しっかりしてるね」と言いながらなんとなくユラユラさせてくれ、赤子も気持ちよさそうに抱かれている。

本当に助かった。
自分の髪をたっぷりの泡で洗い、リンスもできた。身体もゴシゴシきれいになった。娘の長い髪もしっかり洗えたし、ニコニコ会話もできた。

その間、おばあさまは私たちに話しかけるでもなく、言葉が聞こえないくらいの絶妙な距離を保って、赤子をあやしてくれている。時間にして5分足らず抱っこしてもらうだけで、こんなにやりたいことができるなんて。

「じゃああんた、沈んできな」

自分も娘も洗い終わり、「ありがとうございました」と声をかけると、返ってきた言葉は
「じゃああんた、沈んできな」

沈む?

一瞬意味が分からず、ぽかんとしてしまった。「この子はまだ、ゆっくり沈めないだろ」と言われてようやく、”沈む=温泉に入る”だと理解したものの、次のハテナが浮かぶ。

え、ほんとに?
まだ抱っこしていてくれるの?
いいの??

いくら温泉とはいえ、裸で乳児を抱いたままでは身体も冷えるはず。
せめて赤子が湯たんぽのようにおばあさまを温めてくれることを祈りつつ、娘の手を引き、肩まで温泉につからせてもらう。

そのあったかかったこと。
腕の中にいる息子に何やら話しかけているおばあさまの姿を湯舟から見ているうち、なぜだかじんわり涙が出てきた。

これが私のやりたいことだった!

私は一時保育の検索・予約サービスをやっている。その動機については以前のnoteに書いたが、最近、資金調達や事業のプレゼン、アクセラレーションプログラムへの応募などに追われる時間が増えるうちに、いつしかそのプロセスに夢中になっている自分もいた。

パワポづくりが苦手でなくなってきた一方で、「自分はこの事業で、どんな価値を提供したいのか」という、シンプルで当たり前で、でも、もっとも大切な部分に向き合うことを、つい忘れていたのかもしれない。

長野の温泉に沈められ、子どもを誰かにほんのちょっと見ていてもらう幸せを自分で実感して、「ああ、これが私がやりたいことだったじゃん!」と、強制的に思い出すことができたし、そこをおろそかにしていたことに、軽くはないショックを受けた。

毎日じゃなくてもいい。でも、必要なときに子どもを少し預けることで、ぱっと心が晴れて余裕が生まれて、誰かに優しくできたりもする。
子どもに向ける笑顔も増える。


なにより、やりたいことができないのは、誰にとってもストレスだ。お母さんなんだから我慢できる……はずもない。

恩着せがましくないありがたさ

娘と2つの湯舟をハシゴして遊んでからおばあさまの元へ戻ると、赤子は喃語をアウアウ言いながら、しっかりおばあさまの目を見つめていた。
そしておばあさまもまた、ちょっと目を細めながら、「あんた、しっかりしてるねえ」と話しかけてくれている。

そのちっとも恩着せがましくない姿は、とってもカッコよかった。
自分も数十年後、どこかの温泉で同じことをやれるようになりたい、と思うくらいに。

恐縮してお礼を言う私に、おばあさまは特に声をかけるでもなく、「はいよ」と赤子を手渡し、さっとシャワーを浴び始めた。
そのクールなこと。当たり前のことをしただけというプロっぽさ。
私はその背中を忘れないだろう。

というわけで、無事に3か月の息子は温泉デビューを飾り、3歳の娘は露天風呂まで楽しめ、私もひさしぶりに両手両足を伸ばして広い温泉につかることができた。

夜、まだぽかぽかしている身体を布団に横たえながら、おばあさまのことを思い出した。

声をかけられたとき、とっさに「大丈夫です」という言葉が喉元まで出かけていたけど、思い切って頼ってみてよかった。

おかげで娘も温泉を楽しめたし、3カ月の息子は、浴場のタイルに落っこちることも、熱いお湯につけられることもなく、穏やかに過ごすことができた。「迷惑かけちゃいけない」という義務感から、ひとつ楽になれた気がする。

最後に、力を貸してほしいというお願い

「あすいく」は、ちょっと誰かに子どもを見ていてほしいとき、安全&安心な保育施設の一時保育の空き状況を手軽にスマホで検索し、そのまま申し込める。こんな感じ

世田谷区を中心にサービスをはじめ、少しずつ利用してくれる人も出てきたし、ネットワークに参加してくれる保育施設も増えてきた。

とはいえまだまだやりたいことばかり。もっと使いやすいUIにしたいし、営業やマーケティングにも力を入れたい。そのために、一緒に働いてくれる人を絶賛大募集中!


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