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「カリスマ」ってなんだろう?

雪山でのリーダーシップ研修の思い出から出てきた疑問

以前このブログで、通訳していて「訳しにくい」と感じる言葉として"ownership"について書きました。

すでに、この記事を読んでくださった方もいらっしゃるかもしれませんが、某企業のリーダーシップ研修で、私が尊敬する社長の大切な話の、大切な言葉として"ownership"が出てきて、それを「なんと訳すか?」と頭をひねって絞り出した言葉が「当事者意識」という日本語だったという話です。


私が尊敬するその社長さんは、とてもカリスマ性のある方だったと思い返していて、ふと考えてしまったのが、

カリスマって何だろう?・・・ということです。

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通訳やコーチングの仕事を通して、いろんな分野の「リーダー」と呼ばれる方々とご一緒してきました。その中には「カリスマ的リーダー」といわれる人もいるし、逆に「あの人はカリスマがないから」、、、みたいな話を聞くこともあります。

この「カリスマ」というのは何であるのか、と改めて考えると意外に定義が難しいです。よく言われる「オーラがある」とか「存在感がない」などでは説明できない気がします。


「カリスマ」の定義

私が「カリスマ的リーダー」だと感じた社長について、なぜ「カリスマ」だと感じたのかを改めて考えてみました。

この社長が務めていた会社とは長年のお付き合いがあり、就任前から社長が変わるということは聞いていました。フリーランスで仕事をしていると、クライアント企業の社長やキーパーソンが変わることはもちろんあります。大体はそのままの関係が続きますが、ときには人が変わることで、ご縁が切れてしまうこともあります。寂しいけれど、フリーランスとして働く以上は仕方のないことです。

「カリスマ社長」と出会った会社も、社長が変わると聞いて長年お付き合いさせて頂いているけれど、社長が変わったら、どうなるのかな?・・・と、正直なところ少し不安な気持ちを抱えていました。

新社長就任のお知らせが届いた数日後、秘書の方から連絡がありました。「社長がお話したいと言っているので、ご面倒をおかけして申し訳ないけれど時間をとってもらえないか」ということでした。

社長に就任したばかりというのは、会社や社員のことを知るだけでも大変だし、ご挨拶などもあります。そんなタイミングで通訳とお話ししたいというのは、どういうことなのだろう?「契約打ち切り」と告げるだけなら、社長自ら直接お話ししたいと仰ることもないだろうし、などと憶測ばかりが頭を駆け巡りました。

そして、新社長との面談当日。イギリス人のその社長からこんなことを言われました。

私のことは前任者や社員の方から聞いていて、「通訳を使うならこの人が良い」と皆から推薦されている。自分は日本語が出来ないので、コミュニケーションのサポートをしてもらう通訳という仕事はとても大切だと思っている。だから、直接会って確認したいと思ったことがある。

自分はこの会社でやりたいと思っていることがある。それは、「誠実であること」「嘘をつかない」「相手が理解できない状況のとき誠意を持って説明する」などの価値観を「コアバリュー」として浸透させたい。
社員には誇りをもってコアバリューを心がけて欲しいし、これを実行したら仕事が上手くいくだけでなく家族や友達との人間関係も良くなると思う。

お話を聞いていて、私は「そりゃそうだ」と思いました。誠実であること、嘘をつかないなど、人と対峙するときに誠意をもって向き合ったら人間関係は良くならないはずがありません。

そんなことを心の中で思いながら黙って聞いていると、社長は更にお話を続けました。

この会社は、業績は良いけれどオフィスを歩き回ると社員は黙々と仕事をしている。もっと笑い声が聞こえるような生き生きと働ける職場にしたい。コアバリューを普段から心がけてこの会社の一員であることを誇りを持って楽しく働く人が集まる場にしたい。それが社長としてご自分がやりたいことであり、目指していることだと説明してくださいました。

そして、私に向かってこれについて、どう思いますか?私が目指しているような会社にするためにお手伝いしてくれますか?

これは、私は感動した、というか衝撃を受けた。
業務委託をしている社員でもない通訳である私に就任直後の物凄く忙しいであろう時期に時間をとって、わざわざ自分がやりたいことを直接丁寧に説明してくれたことに感動した。

そして、話し終わると、私に向かって「手伝ってくださいますか?」と聞くのです。

私は「もちろんお手伝いしたいです」と答えました。仕事を続けたかったからではなく、そんな素敵な職場をつくるお手伝いをしたいと心から思ったからです。

社長は、自分がやりたいことを説明した上で「これを手伝ってくださいね」ではなく、「手伝ってくださいますか?」と質問しました。お願いでなく質問することで、手伝うかどうかの判断はこちらに委ねたのです。

そのとき「お手伝いしたい」と答えた私は、社長の「やりたいこと」をお手伝いしたいという気持ちは、私自身の選択であり、お願いされるよりずっとコミットメントが強いのを感じました。

本当に、心からこの社長のやりたいことを成し遂げるお手伝いをしたい、そのために私に出来ることは何でもしたいと思ったのです。

いま振り返ってみると、カリスマってこういうことだ、と思います。

今はリーダーのあり方も多様化している。先頭に立って俺についてこい!というような人だけが「リーダーらしい」というわけでもありません。そんななか、「カリスマって何?」と改めて考えるとき、「この人の役に立ちたい」とか、「この人が成し遂げたいことをお手伝いしたい」と相手に思わせる力なのではないかと思います。


魅力がある、人徳がある、素晴らしいビジョンを持っているという人の周りには「この人の役に立ちたい!」という気持ちを持つ人がたくさん集まってきます。そんな気持ちを抱かせる人が「カリスマ」なのではないかと私は思うのです。

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