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09.からし湿布【沖家室】思い出備忘録

沖家室で風邪をひくと大変なことになる。
もう決して沖家室で風邪はひくまい。

私が子どもの頃に誓ったことだった。

ある時、私は沖家室での滞在中に風邪をひいた。
咳が出て、少し熱もあったように思う。
すると祖母が「からし湿布したらええ」と言って
なにやら用意し始めた。

しばらくすると、祖母がカレースプーンとお椀を手に
手招きをしている。

見ると、祖母の持つお椀の中には、
粉末状のからしを湯で練った黄色いペーストが
たんまりと作られている。
祖母の脇には粉末のからしが置かれていた。

私は粉末状のからしも見たことがなかったし、
何より、こんなに大量のからしを見たことがなかった。

祖母はカレースプーンでその大量のからしをすくうと、
油紙のような紙にべったりと伸ばしはじめた。
からしの匂いでなんだか目が痛い。

私は嫌な予感がし始めていた。

そして、その予感は現実のものとなった。
祖母はそのからしがたっぷりと塗られた紙を
私の背中にしっかりと貼り付けた。
「これで咳も熱も良うなる」
そう言って、さっさと晒しで湿布ごと私を巻き、
分厚い毛布でくるむと
しばらく大人しくしているように命じた。

すぐさま効果は現れた。

湿布のあたりが燃えるように熱い。
というか痛い。
背中が熱さと痛さで燃えるようだ。
あまりの刺激に頭の中が爆発しそうになる。

「めっちゃ痛い!」

はがして欲しいという私に、
祖母は「もうしばらくすると痛くなくなる」と
まったく聞く耳を持たない。

暑さと痛みに耐えながらしばらくすると
確かに痛みはほんの少し弱くなったようにも思えたが、
からしの刺激成分が収まってきたせいなのか、
痛みで気が遠くなりつつあるからなのか、わからない。
身体中が熱く感じられ、握りしめた手が痛い。

もう限界・・・と薄れゆく意識の中で
うっすらと目を開けると、
祖母が「もうええかね」と部屋に入ってきた。

すぐさま毛布をはねのけ、
晒しを引きちぎるように緩めると、
祖母に向かって背中を見せる。

「ええなったろう」
祖母はそう言うと、からし湿布を剥がして微笑んだ。
濡れたタオルで背中に残ったからしを拭いてくれる。

確かに先程までのだるさは消えていた。

しかしそれは、からし湿布の効果によって
風邪が治ってきたからと言うよりは、
からしの刺激によって、それどころではなくなった
と言う方が正しい気がした。

「もう二度と風邪はひくまい」

まだ背中がカッカとするのを感じながら、
私は密かに心に誓った。

私たち家族は、このからし湿布の効能に疑問を感じながらも、
気管支が弱い弟も、まったく民間療法を信じない母も、
一度は祖母の熱心な親切心を頂戴することとなった。

父も幼い頃にはよく湿布した、と祖母は言うが、
父が風邪っぽい症状を見せていても、
一度もからし湿布をしているのを見ていない。

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