安曇野の春に
今年の安曇野の桜は長く咲いている。
午前中、少し車を走らせて、近くの公園に出かけた。昼前に帰るころには駐車場に20台くらい車があったけれど、散策していてすれ違ったのは、摘んだ山菜の入っているであろうビニールを持った老夫婦だけ。あとは遊んでいる家族連れの声を聴いたくらいか。
とにかくここは敷地が広いので、普段でも誰もいない空間を楽しめる。本気で気が滅入る前に来られてよかった。
何事もないように散策している人をみて、(自分も含めて)ちょっとお気楽だな、と思う。毎朝、ニュースは見ているからなおさら。だが、この時期に全く花見をしないなんて言うのは、長い冬を耐えて生き抜いた私や地元の人には残酷な話だ。それにこんな時でも人がいないところでくつろげるのは、田舎に住む人間の特権のように思う。それでも、この半月ほど私は「安曇野」からは出ていない。買い物も短時間で済ませるようにしている。家族にも知人にも会えないようにする。心は少しずつ縮んでいくみたいだ。
―効果のない「自粛」はしないことにする。それで少し息を吸おう。
私の周りにはいないと思うけど、それをとやかく言う人は、話をちょっと履き違えている気がする。
ただ、登山はまた別の話で、なぜ私が登山の自粛を呼びかけたのかというと、山の事故が増えるのが嫌だからだ。
北アルプスの山小屋はGWは自粛して営業をしていない。上高地へのバスも運休。登山客も極端に少なくなるのは目に見えている。
そうすると山小屋や登山道が無人という可能性があり、否が応でも事故が起きたときの発見や対応が確実に遅れる。しかも標高1500m以上はまだまだ雪山。吹雪にでもなったら目も当てられない。私はそこを恐れているのだ。
事故を100パーセント起こさない人なんていない。
日本は外出を「禁止」されていない。それゆえ自分の命と他者の命を守る行動を、一人一人が「考える」方向にいってくれたらいいと思う。
人と人の接触は現在は確かに避けるべきなのだが、家に閉じこもるだけでは心身がもたないだろう。適切な場所であれば外出もかまわないはずだ。もちろん三密が予想される場所、危険が予想される場所、県を超えての旅行などはあたりまえだが避けるべきである。
ただ、そこを的確に判断できない人が今どれだけいることか。今守るべき最低限のルールを守らない人がどれだけいるのか、考えるとちょっと嫌になる。そして正しい知識は恐ろしさばかりのニュースにうもれていく。問題はそこにあるのかもしれない。メディアの情報のほとんどは私たちから考える力を奪っていく。
今回の騒動が、メディアに踊らされず、ひとり一人が考える力を取り戻す機会になれば、とふと思った。
早めに咲いた桜が風に散っていった。この桜が青葉になるころ、日本はどうなっているのだろうか。
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