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席を譲られてキレるお年寄り…受け取れない人達

例えば、として席を譲られてキレるお年寄りを挙げてみましたが。
他にも「せっかく〇〇してあげたのに、逆に迷惑がられて嫌な思いをした」という例がいろいろとありますよね。
「やらなきゃよかった」とか「人の行為を!」とか「言い方が悪かったのかな…」とか「もう二度としない!」とか、後でくよくよいじいじ思い出してしまったりします。

でも全く全然ひとっつもそんなことこちらは考える必要もないし、反省する必要もないんです。

何が起きているかというと、ただその相手がこちらの行為を「受け取れない人」または「受け取れる状況じゃなかった」ってだけなんです。

「それにしても言い方ってもんがあるでしょ!」「どんな育ち方したの?!」とかまぁいろいろ深く追及したくなったりもしますが、相手が「受け取れない人」または「受け取れない状況じゃなかった」ってだけなんです。

受け取れない人、結構多いです。受け取らないように学んで来てるから。褒められたら謙遜しなきゃならない、自分だけいい思いするなんて良いことじゃない、自己犠牲は美徳、なんてことをずっと吹き込まれて育ってきました。だから何かをオファーされても、素直に「ありがとう」って受け取るには結構勇気がいったりするんです。
受け取ったら自動的に「お返ししなきゃ」、そのお返しが考えつかないから、受け取らないでおこう、とか。

特に男性は「与える者」として育ってきているので、どんなものでもどう受け取ったらいいか戸惑う、違いますか? 
いちいち「~だから受け取ってもいいか」などと理由付けしないと受け取れないとか、違いますか?

もしくはその素直に受け取る照れくささから、対極に向かって「寄こせ」的態度を取ったりして。(この対極に走るのはまた別の機会に…)

話を戻して、せっかくのお土産に嫌味を言われたりして行為を受け取ってもらえないと感じたとしても、その相手がただそうしたかったから、それだけ。悲しんだり、反省したり、怒ったりせず、ただ「あ~受け取れなかったのね、まる」これだけでいいとしたら?
ずっと楽になりませんか?

アクセス・コンシャスネス的に言うと
You are not wrong.
あなたのせいじゃない、あなたが間違ったことをしたんじゃない。

開き直れという意味でもありません。
ただその時はそうだった、ただそれだけ。
次回同じような状況になり、あなたが親切で何かを提供したくなった時
「この人は受け取れる?」
イエスだったら提供し、ノーだったら止めておきましょう。
前回がこうだったから、今回もこうだろう、というデータは全く無意味ですし、「受け取ってくれるはず」「受け取りなさいよね」というのは期待、決断、結論、そしてジャッジメント?

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