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松本人志の失脚が意味するもの

猿山のボスザルのことをアルファメールと言う、英語圏では人間界のボスのこともアルファメールと呼び、安倍晋三もアルファメールだったし、元大統領ドナルドトランプもアルファメールだ。

私はフェミニストではないし、狭い意味でのフェミニズムとは距離を置きたいと思っているが。

日本でのフェミニズム運動は社会の中でインテリ女性にもアルファメールの地位をよこせと言ってるように見える。

ヒエラルキー構造の社会をぶち壊し、平等な社会にすることがフェミニズム運動ならば。喜んで日本のフェミニズム運動にも参加したいと思のだが。

冒頭からいきなり寄り道をしてしまった。

松本人志についてだが【物化】と【男らしさの言う呪い】松本人志と言う時代象徴的な存在の失脚が何を意味するのかについて。

【物化される女性 オブジェクティフィケーション】

ーたむけん、女性を「物」として見ているなんてそれは違うー

服を着ている女性と話す時と、ビキニの女性と話す時とでは、男性の脳の活性化される部分が違う。

着衣女性と話す時は【人間】に対する脳の領域が使われ、ビキニ女性と話す時は【物】に対する時に使う脳の領域が使われる。

これは【物化】あるいは【オブジェクティフィケーション】と呼ばれる現象で、女性は男性の脳内でオブジェクト【物】として脳内で処理される。

女性は【物】として見られ【物】として扱われ、人間としての尊厳や人格は【物】なので無視される。

ノースカロライナ大学シャロンクーパー博士の論文によると、暴力的なAVを見続けた男性は服を着た女性も【物】のように扱うようになり暴力性が強化される。

女性もAVを見続けることで、自分自身を【物】のように捉うようになる。パパ活女子が自分自身について、歳をとると高く売れなくなると言うのもそれだ。

たむけんのような芸人たちは、仕事を得るためホモソーシャル(男性同士の関係性)を強化するために女性を【物】として利用した。

人は生まれながらに価値があり、全ての人が平等だという意識が欠けている。
女性も人間なのだ。



英語の虐待abuseは、接頭語のabと
use『使う』からなる語で。
接頭語のabは肯定的な意味を持つ語とセットになると否定的な意味になる。虐待はab+use『不当に使う』と言う意味を含み。
abuse虐待は自分よりも下にいる者を利用する、自分がいいように使うつまりabuse虐待なのだ。

女性や障害者など『弱者』は自分が利用し使っていい存在だと認識され。
弱者性をあざ笑い利用して強者としての一体感や仲間意識を高める。

アウシュヴィッツの囚人の脂で石鹸を作り【物】のように利用された。

中曽根康弘は慰安婦を集めてきた事を成功談のように語っている女性を【物】として使ったのだ。


弱者の心情など考慮しない【物】として扱い感情を無視し、尊厳や人格を尊重しない。
自ら楽しむため弱者を作り出し我々は強者なのだと小さな自己肯定感をなぐさめる。

嫁に【もらう】、俺の【物】になれ!
日本語表現は女性を【物化】する表現に溢れている。

女性差別は無意識の領域にあり、無意識に差別は行われる。
女性は自分自身を無意識に【物】
とし不当に扱われることが当たり前だと思い込まされている。

【松本ー象徴的存在の失脚が意味するもの】

弱者を笑い自分の小さな自己肯定感をこいつらよりもマシなんだと慰める。
この劣悪な種類の笑いはいつ始まったのか。

平安時代には追儺(ついな)の鬼という風習があった鬼遣(おにやらい)ともいい、
鬼の役には官奴(古く宮に隷属した奴婢)がこの役を務めていた豆ではなく石を投げつけていたと言う。
さて、松本人志の話に戻ろう。

ダウンタウンの「ガキのつかいやあらへんで」は暴力シーンの連続だった。
80-90年代のダウンタウンの下品な笑いは弱者をおとしめ、あざ笑っても良いのだと言う社会共通認識を日本社会にもたらした。

弱者を笑いものにしホモソーシャルを強化し、暴力的で弱者の人間としての尊厳を踏みにじり、弱者を笑ってもいいんだとする社会的ミームを作り出した。

彼の失脚は劣悪な笑いの終焉
人権復興ルネッサンスだと言える。

【男らしさの呪いー有害な男らしさ】

自殺率と犯罪率は女性に比べて男性が圧倒的に高い。これは弱さを許さない有害な男らしら【男らしさの呪い】がその裏側にある。


『弱い者たちが夕暮れさらに弱い者を叩く』

男は泣いてはならない弱くてはならない。弱さを否定し、自らの弱さを弱者に投影する。
弱者を叩き笑うものたちは、弱者を叩く事で権力性や支配性を確認する。
『弱い者たち』なのだ。

真の強さは自分の弱さに向き合った人だけが勝ち得る。


西尾和美氏の『心の傷を癒すカウンセリング366日』
より

男は、もっと泣く必要があります。
女は、もっと怒る必要があります。
社会の中で金を稼ぎ、家族を維持し、仕事だけに没頭し、牛や馬のように働かされ、感情の表現を制限されてきたおとこたち。やさしさ、温かさ、深い人間関係、意義ある感情のコミュケーションを知らないで生きてきた男たち。
失われたチャンスを大いになげくべきです。
あなたたちの涙は、水害をおこし、家や畑を流すほど溜まっているはずです。

虐げられ、自分の意見も言えず、ただ耐えてきた女たち。自分の能力を発揮できる場をもたず、まわり者の世話ばかりをして、責任をもってリーダーとして行動するチャンスを持てなかった女たち。
あなたたちは、大いに怒るべきです。

あなたちの怒りは、火山のように爆発し、町を滅ぼすほどのパワーがあるはずです。
水害のあとには、新しい草木が生え、火山から出た溶岩は新しい土地を作りあげます。

男よ、泣け!
女よ、怒れ!

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