小休止#6
遺書ばかり書いている。演技でもないかもしれないけれど、本当に書いている。
去年の半ばくらいからだろうか。ほぼ毎週のように書いている。
毎日じゃなくて、よかったのかもしれない。けれど、不健全であるには違いない。ろくなことでもないに違いない。
東京都、心の相談室に電話をしたことがある。
こういった相談室に連絡をするときに、心しなければならないのは、
あくまで、相手は人間だ。私の問題を解決してくれる人ではない。 私の問題は私しか解決しようがない。
ということだ。
相手の人は至って優しい人だった。そこで、すっきり「人生は続けるしかないんだな」という解決に導いてくれたのだから、素晴らしい人だった。
そもそも、人生を終わらせたいと考える時、私には二通りの意味が見える。
誰かに傷ついているんだぞ、と表すための衝動。
自分自身に期待ができなくなった時の衝動。
前者の方が、衝動も激しい分、止まる衝動も激しい。故に、思いとどまりやすい。
後者については、衝動はそれほど強くない。だんだんと嫌気が射してきて、いつの間にか気力がゼロになっている。なので、どうしようもない。本当に辛い。
電話した時、私は初めて殆自分に嫌気がさしていた。よって、階段を切るために電話をして、生き延びている。
あれから、遺書をよく書く。コロナがさけばれて、20代後半を思い浮かべて、ひたすらに遺書を書く。
美しく、詩のような物を書きたいと思う時もあれば、真実だけを連ねたいと思う時もある。けれど、都合のところは省いている気がして、なんだか罪悪に駆られて、死ぬ気がなくなる。
どうせなら、太り切って終わらせよう、お金使い尽くして、あれを仕上げて、全部仕上げ切ったら、なんて考えているうちに、本当にその日はあっけなく来るのかもしれない。
今日も、きっと今から遺書を書く。
たまに「本当に終わるんちゃうか」なんて縁起でもない文章が仕上がることもある。
どうにか、あれやこれやをこなしているうちに、寿命が来ますように。そんなことやこんなことが起きませんように。
なんだかんだ、貰った命は、粗末に扱いたくないと殊勝に思う自分を信じて。
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