私の名前を呼んでくれた人たちへ

「綾香ちゃん」

そう私の名前を呼んでくれた人が、これまで何人いるのだろうか。

綾香、綾香ちゃん、綾香さん、綾ちゃん、結城ちゃん、結城さん…。

私の名前「結城綾香」は、実をいうとアーティストネームだ。
綾香は本名。苗字が違う。
だから、圧倒的に、「結城」「綾香」と、読んでくれた人たちの顔は、本名のそれより少ない。
故に、覚えている。
私の名前を呼んでくれた人たちの顔と言葉と姿を。

本名で読んでくれる人たちのことも覚えているが、今日は「結城綾香」にこだわらせていただきたい。

最近、高校の時からのお友達からの呼び名が「綾香ちゃん」になっていてうれしかった。
大好きな女先輩から「綾香ちゃん」と呼ばれてうれしかった。

「綾香」は消して珍しくはない名前だけれど、呼ばれることが多くなってきたことはやっぱりうれしい。

「結城ちゃん」と呼んでくれる、大好きな尊敬する師匠がいる。
「結城さん」と、こちらをうかがうように話をかけてくれる、大好きな漫画家のお友達がいる。

「結城」は、本名ではないけれど、12年間、もう一人の私を守っているようなお守りのようなもの。だから、そう呼んでくれる人がいることはとてもうれしい。

恐らく、私はずっと「結城綾香」の自分を大切にし続ける。

唐突ではあるが、最近もう一つ名前が増えた。
やっぱり、「綾香」は変わらない。
理由や経緯は、大きな声では恐らく申さないが察していただいた内容を正としていただきたい。

小さな頃、新しい年を迎えたり、新学期になったりしたとき、大きく何かが変わるような期待の中で、そうではない現実に戸惑ったりしたことは、誰にでもあるだろう。

今回も、全く同じような、「ふうん、変わったんだ」くらいの感覚だ。

大きな流れの中で歩いている自分の時間が過ぎただけのような。

それは、「綾香」という名前をたくさんの人によんでもらって、長い時間(もしかしたらほかの人より少し時間がかかったのかもしれないが)をかけて、私が自分という輪郭や形、質感をしっかりと理解することができたからに違いないと考えている。

私は至らないところが多々あるので、「綾香」に触れてくれる人たちがいなければ難しかった。

本当に、嫌になることもあっただろう、こんな人間。
関わって、関わり続けて、離れた人も、本当にありがとう。

私の名前を呼んでくれた人たちへ。
私はモラトリアムを抜けて、次のモラトリアムへ突入したようです。
意味は多重に多様に受け取っていただけますと幸いです。

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