小休止#1
自分の中の考えが溜まると、なんだかあまり物を作る気にならないということがあります。
音楽は、それがプラスとなって声となるので、ライブなどはいいものが出来たりするのですが、エゴイズムだとも感じ、ステージの上で葛藤をします。
物を書くときなどは、エゴイズムと他人の気持ちの中で板挟みになりあまりうまく書けない、手が震えるということが、私の場合起こります。
先だって、モノコン2020で優秀作品をいただいた『ズータカイーズ』は、その法則から行くとイレギュラーな作品となりました。
(読んでね)
自分の作品を自分の口で説明することは無粋だと思うので、是非読んでみてください。
さて、明日からまたnoteを書き始めるために、昇化として書いているのですが。
病気というものは、悪くなってからどうしようもなくなってからわかることが多いと思います。
と、いうことは視野の狭さはそれに該当するのかなあと。
「空気を読め」という言葉に最近引っかかりを感じていました。
空気とは、その人だけのものではなく、主である自分自身を含めての空気であるのです。
動物的にひとりだけに冷たくするコミュニティに属したとき、その裏の悪意を感じて虐げられるほうは空気を読み、加虐をされます。
そして、清浄機の機能であると自負する人が、そのフィルターの汚れに気づかず機能し続け、延々と汚い空気が回っていることに肺が侵されるまで、そのコミュニティは気づかないのです。
自身の視野とフィルターを常に疑う。(もしくは、言ってくれる人を必ず隣に置いておく)
ことはとても重要だと思います。
これは私のプライドが高いのが(今まで低いと思っていましたが、どうやら高いと思われます)問題なのですが。
その顔に潜んだ、脂のような影、というのでしょうか。とても臭い影が入った人間を愛することが出来ません。
そして、その恐怖が私の手を時に止めるのです。
いいことが、ありますように。
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