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A→Bが「正しい」とはどういうことなのか~真理(値)表とは何なのか


A→Bが「正しい」とはどういうことなのか ~真理(値)表とは何なのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report40.pdf

出来ました! PDFファイルで10ページです。
間違いないか読み直したり修正したりしましたが・・・大丈夫かな?

私がずっと抱いていた(論理学的)トートロジーや真理表(真理値表)への違和感について説明しました。これまでのレポートからさらにもう一歩進めたかんじです。

問題は二値原理よりむしろ真理表(真理値表)という考え方自体にあるのではないでしょうか?

目次 
1.直観に反するのではなく「事実に反する」 (3)
2.AとBに内容上の関連性がないのであれば、Aが偽のときA→Bの真理値を決定する根拠はどこにもなくなる(4)
3.真理表(真理値表)とは何なのか(5)
4.選言との比較(6)
(1)同一の対象について説明した条件法の場合(6)
(2)別々の事象の関係について説明した条件法の場合(7)
5.¬AからはA→Bの「正しさ」を根拠づけることはできない(9)
6.A→Bが「正しい」ということは、Aが正しく、そしてBが正しいということが示されて初めて明らかになるもの(9)

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6.A→Bが「正しい」ということは、Aが正しく、そしてBが正しいということが示されて初めて明らかになるもの

 真理表そのものがミスリーディングなことは明らかである。A→Bは真理表になじまない。¬A→¬Bの「正しさ」をA→Bの「正しさ」と混同してしまっているからである。いったい真理表は何を示す表なのか、それすら不明である。論理に対する誤解を招いてもいる。
 ¬A→¬Bが真だとしてもA→Bの正しさは結局AとBの真偽が具体的に示されることにより確かめられるものであって、¬A→¬Bから導かれる・根拠づけられるものではないからだ。

[前件肯定式 MP] A,A⊃BからBを導出してよい(野矢『論理学』66ページ)

・・・とは、A→Bという抽象的な”何か”が具体的事実・事態を離れて「正しい」ものとして存在しているかのような錯覚を抱かせるかもしれない。しかし、その「正しさ」は具体的事例を持ち出す以外に確かめようがない。A→Bが「正しい」ということは、Aが正しく、そしてBが正しいということが具体的に示されて初めて明らかになるものであって、それ以外にA→Bの「正しさ」を示すものはないのである。
 (論理学における)真理表が無効なものであるとすれば、その真理表を根拠とする論理学的トートロジーも無効ではなかろうか。そもそも論理学的トートロジーが根拠のない論理学的真理値設定によりもたらされているものだからである。
 常に正しい事実、あるいは特定の条件において常に正しい事実というものは実際にある。しかしそれはただ事実として「正しい」のであって、論理学的トートロジーとして「正しい」わけではないのだ。
 (論理学における)真理表は、論理の真偽を確かめる表ではなく、何か他の用途で用いられうるのかもしれない。しかし少なくとも論理の「正しさ」を表現するのには適さないものなのではなかろうか。

※ トートロジーと論理学的真理値設定に関しては、拙著「命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?」( http://miya.aki.gs/miya/miya_report39.pdf )でも詳しく説明しているので参考にしてください。


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