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電流学に基づいたEx falso quodibetの根拠づけ

これまでの内容については、
電流が流れるか流れないか学(電流学)|カピ哲!|note
をご覧ください。

 Ex falso quodibetとはラテン語で「偽からは何でもかんでも(出てくる)」(戸田山和久著『論理学をつくる』名古屋大学出版会、65ページ)という意味であるが、実際には「矛盾した前提からはなんでも出てくる」(戸田山、前掲書、65ページ)ということである。
 具体的に回路図を描いてみよう。

図11 (A∧¬A)→B の回路図

 電流表は下のようになる。(A∧¬A)が矛盾しているためS1は常にスイッチが入っている状態となる。結果的に(電流学的)トートロジーとなってしまう。Bの部分がいかなる回路であろうと、回路としての体裁をなしてさえいれば全体としては(Zには)電流が常に流れる。これもA→Bの設定された”意味”によるものであると言えよう。

表4 (A∧¬A)→B の電流表

 そして、何度も言うがこれは矛盾する(言語)命題からは任意の命題が導かれるということを意味しない。単に電流が常に流れるということを意味しているだけである。

 瀬山氏は彼の著作『数学にとって証明とはなにか』(講談社、2019年)においてA∧(¬A)→Pという論理式について以下のように述べられている。

「ならば(→)」の真偽の決め方から、A∧(¬A)が間違いなら、この複合命題はどのようなPについても、いつでも正しいことがわかります。A∧(¬A)は常に間違いですから、この命題A∧(¬A)→Pは正しい。

(瀬山、104ページ)

   次が問題である。

A∧(¬A)である。
A∧(¬A)→Pである。
したがって
Pである。
が成立し、どのような命題Pでも証明できてしまうのです。

(瀬山、104ページ)

・・・しかしこれは明らかな間違いである。Pが単独でその「正しさ」を証明されることはありえない。電流学的に見てもPが単独で成立するためにはP自身が電流学的トートロジーだと証明される必要がある。でなければ前件A∧(¬A)を除去したときに回路(Z)に電流が流れなくなってしまう可能性があるからだ。



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