前のレポートを一部修正しました

命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?
http://miya.aki.gs/miya/miya_report39.pdf

の第5章(一つの命題にAと¬A双方が含まれるのは正当なのか?)の後半部分を少し修正しました。

¬A→(A→B)
の場合はA→Bの「意味」を考えれば成立しえないが、
(しかもそれが導き出される演繹のプロセス自体が道理に合わない)

((A∨B)∧¬A)→B
はA∨Bの「意味」を考えればありえないわけではない、

「論理式」はそもそも「意味抜き」などされていない、ということです。

A→Bが「正しい」とはどういうことなのか ~真理(値)表とは何なのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report40.pdf

で考察した内容をふまえた上での修正です。

「A→Bが「正しい」とはどういうことなのか ~真理(値)表とは何なのか」まで来て、命題論理に関する違和感はだいぶ説明できました。真理表(真理値表)はいったい何なのか、トートロジーとは何なのか、論理学における説明にずっと違和感を持っていたのですが、このレポート(および「命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?」)である程度明確に指摘できたと思います。

これからは完全性の問題など時間を見つけて少しづつ取り組んでいきたいです。

正直、哲学者が論理学をする意義が分かりません。論理学に思考がはまればはまるほど現実問題とは乖離します。現実問題の真偽は現実問題として考えれば良いだけで、そこに論理学の出る幕などないと思うのですが・・・

論理学そのものが詭弁ですし。




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