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電流学に基づいて公理系について考えてみる(1)

 戸田山著『論理学をつくる』では、公理系APL(axiomatic system for propositional logic)が紹介されている。

A1 A→(B→A)
A2 (A→(B→C))→((A→B)→(A→C))
A3 (¬B→¬A)→((¬B→A)→B)
R1 MP

戸田山和久著『論理学をつくる』(名古屋大学出版会)250ページ

上記A1~A3はウカシェビッチの公理系とも呼ばれるものであり、どれも電流表にもとづけば電流学的トートロジーとなる。
 何度も繰返すが、これらは真偽関係ではない。真偽関係として上記公理系の根拠づけを行ったり自然言語から根拠づけようとしたりすると、そこには詭弁が入り込んでしまうのである。具体的には論理空間の混同(真偽関係をもたらす)規則と真偽関係そのものとの混同、そして循環論理である。これらのことについては以下の拙著で詳細に説明しているので参考にしていただければ幸いである。

論理空間とは何なのか ~野矢茂樹著『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』第8章「論理はア・プリオリである」の分析
http://miya.aki.gs/miya/miya_report41.pdf
命題を(論理学的)トートロジーと決めつけた上でA→Bの真理値を逆算するのは正当か?
http://miya.aki.gs/miya/miya_report39.pdf

・・・つまり、論理学におけるウカシェビッチの公理系に納得できないのは非常にまっとうな感覚であり、すんなり“理解”できた人は詭弁を見抜けなかった、あるいは証明されるべき公理ではなく“設定”によりもたらされた人工言語における公理だと理解できたか、というわけである。
 上記の公理系に関し、

A1はひとつの論理式ではなく,P→(Q→P),(P→¬Q)→(R→(P→¬Q)),(P→(Q→P)→(((P→Q)→(P→(P→¬Q)))→(P→(Q→P)))などA→(B→A)の形をした無数の論理式を一括して表している。つまり,A1は「しかじかの形をした任意の論理式を公理とします」と言っている。したがって,APLは無限に多くの公理をもつ。

(戸田山、前掲書、250ページ)

・・・つまり上記公理系APLのA、B、Cには論理式という形式を満たしさえいれば(その論理式が真であろうと偽であろうと)どのような論理式も代入可能だということなのである。これは日常的真偽判断(日常言語・自然言語)から考えればありえないことである。
 しかしこれはあくまで”設定された”人工言語なのであって、(これも繰り返し説明してきたことだが)厳密には真偽関係ではないのだ。それゆえ電流学として解釈すればすんなりと理解できるのである。A、B、Cそれぞれがonであろうとoffであろうと、きちんと回路としての体裁を持っていれば(つまり論理式であれば)、上記A1、A2、A3には電流が流れるようになっている。そうなるように”→”(if-回路)を設定しているからだ。
 戸田山氏も以下のように説明されている。

式の形だけ見ていてもproofは構成できるということがわかる。「→」が「ならば」であるとか,「A→B」真理条件についての考慮はproofの構成には必要ない。つまりここで言うproofは,全く意味・真理無視の立場つまりシンタクスの立場に立って行えるようなものなのだ。

(戸田山、253ページ)

・・・ただ訂正させていただきたい箇所もある。「→」が日常言語・自然言語的な意味での「ならば」ではないことは確かにそうである。しかし公理系APLの公理は「A→B」の”設定された”真理条件に根拠づけられて成立しうるものであって、真理条件は”考慮”されているのである(それが実際は真偽の問題ではないにせよ)。そのうえで「→」の機能、つまり”意味”が設定されているのだ。”全く意味・真理無視の立場”と言うことは決してできない。
 もし、本当に”「A→B」真理条件についての考慮はproofの構成には必要ない”のだとすると、上記公理系のA、B、Cに”任意の論理式”を代入してもトートロジーが維持される根拠が消滅してしまうことになる。

 では具体的に見てみよう。A1はどのような回路になるのであろうか。

図5 A→(B→A)の回路

・・・そういうふうに設定しているのだから電流は常に流れる。
 次にA2はどうだろうか? 回路が少々ややこしくなっているが、常に電流が流れるように設定してあるのは同じである。

図6 (A→(B→C))→((A→B)→(A→C))の回路

(図が下手ですみません・・・)
(図が下手ですみません)


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