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AならばB(A→B)の論理学的真理値設定が現実世界により根拠づけられるのは、あくまで前件が真の場合のみである

※ 本記事には重大な間違いがあります。すみません。訂正情報については、

選言の真偽とはいったい何なのか:(¬A∨B)≡(A→B)に根拠はあるのか|カピ哲!|note

選言の真偽とはいったい何なのか:(¬A∨B)≡(A→B)に根拠はあるのか
http://miya.aki.gs/miya/miya_report38.pdf

・・・をご覧ください。

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 今、論理学についてさらにもう一歩踏み込んで論じてみたいと思い、本を読みなおしているところです。今の論点はだいたい次のようなかんじです。

・公理系(あるいは規則・ルール)が論理空間を作り出し、それに伴いその論理空間における真理値が定まっていく
・真偽が判明しない公理系と、トートロジーを前提とした公理系とを同列に扱って良いのか
・公理系において現実とは異なる真理値設定をすることの問題点は

・・・そして、それらの議論の前提としてトートロジー、否定その他論理語、さらには矛盾・ナンセンスは、私たちの具体的経験(として現れる現実世界のあり方)により根拠づけられているという事実があります。

 今日は、瀬山士郎著『数学にとって証明とはなにか』における条件法真理値設定に関する説明についての再検証です。

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 瀬山士郎著『数学にとって証明とはなにか』(講談社、2019年)では、条件法(A→B)の真理値設定(A→Bにおいて前件Aが偽ならばA→Bは常に真という設定)が「常識的に考えておかしい気がするかもしれません」(瀬山、78ページ)と認めた上で、「数学での約束だと思ってもらっていい」(瀬山、78ページ)とし、「こんな約束をする理由」(瀬山、78ページ)について以下のように説明されている。

「Aでないか、あるいはBである」が正しいとしましょう。もしAでないならば「Aでないか」の部分が正しいので、Bの真偽にかかわらず、「Aでないか、あるいはBである」は正しくなります。一方、Aならば、Aでないということが間違っているので、「あるいは」という言葉の相棒であるBが正しいほかありません。つまり、AならばBなのです!
 ようするに、「AならばBである」とは「Aでないか、あるいはBである」の言いかえなのです。

(瀬山、79ページ)

・・・上記の瀬山氏による説明は、((¬A∨B)∧A)→Bであること、そして¬Aであっても¬A∨Bは真であるということを説明しているだけである。
 瀬山氏は具体例としても説明されている。

たとえば、「(この三角形は)2等辺三角形でないか、あるいは2つの低角が等しいかのどちらかである」という言明を5回ほど口に出して言ってみてください。三角形は2等辺三角形でないか、あるいは(もし2等辺三角形ならば)2つの低角が等しいかのどちらかです。
 こうして、「Aではないか、あるいはBである」と口に出して何度も言ってみると。これが「AならばBである」ことの言いかえであることが分かるのではないでしょうか。

(瀬山、79ページ)

・・・では、Aが偽でBが真の場合、どうなるであろうか? その三角形は2等辺三角形ではなく、なおかつ2つの低角が等しいのである。どう考えてみても矛盾である。真理値表で示してみよう。

上から3行目が明らかに矛盾となっているにもかかわらず、¬A∨Bが真となってしまっているのである。結局、現実と齟齬をきたしていることに変わりない(瀬山氏の示された具体例は、特定の一つの三角形に対する言及であることに注意)。
 条件法の真理値は、(前件が偽の場合)恣意的・人為的に定められた”約束”にすぎず、それを現実世界のありようと関連づけて根拠づけることは不可能なのである。(¬A∨B)≡(A→B)であることは条件法真理値設定の「理由」ではなく、むしろ(¬A∨B)≡(A→B)という人為的設定に対し理由が求められるのである。
 この説明は、形式含意における詭弁と共通点があるようにも思える。たとえば、「xが4の倍数であればxは2の倍数である」(久木田、10ページ)について、「形式含意が真であるのはその変数にいかなる値を代入した結果も真である時である,と定義される」(久木田、10ページ)と言うのであるが、xが5だったらこの命題は成立しない。矛盾・ナンセンスとなってしまう。あくまでxが4の倍数であるときのみ真であるのは明白である。
 瀬山氏の説明においても、形式含意においても、AならばBが現実世界により根拠づけられるのは、あくまで前件が真の場合のみなのである。

さらに瀬山氏は、A∧(¬A)→Pという論理式について、

「ならば(→)」の真偽の決め方から、A∧(¬A)が間違いなら、この複合命題はどのようなPについても、いつでも正しいことがわかります。A∧(¬A)は常に間違いですから、この命題A∧(¬A)→Pは正しい。

(瀬山、104ページ)。

そして、

A∧(¬A)である。
A∧(¬A)→Pである。
したがって
Pである。
が成立し、どのような命題Pでも証明できてしまうのです。

(瀬山、104ページ)

・・・と説明されているが、果たしてそうであろうか?

[前件肯定式 MP] A,A⊃BからBを導出してよい

(野矢、66ページ)

が成立するのは前件が真の場合のみ(だからこそ前件肯定式である)、前件が矛盾の場合にmodus ponensが適用できる根拠はどこにもないのである。

追加*********************

 形式含意は真理値表になじまない(2行目が成立しない)と思っていたのですが、下記のように考えれば作成可能であることに気づきました。
 上から三段目について、6は4の倍数でなく2の倍数、しかし8は4の倍数ですが2の倍数です。一番下の段について、5は4の倍数でもなく2の倍数でもないですが、6は4の倍数ではありませんが2の倍数です。

「x>5 ならば x>3 である」の真理値表は以下のようになります。

・・・前件が偽の場合、A→Bの真偽が定まらないということは、やはり真理値表になじまないということなのでしょうか。いずれにせよ前件が偽の場合の論理学的真理値設定を支持する事例でないことは確かです。

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<引用文献>
瀬山士郎著『数学にとって証明とはなにか』(講談社、2019年)
久木田水生著「条件文の論理」(2012年度)http://www.is.nagoya-u.ac.jp/dep-ss/phil/kukita/others/Logic-of-Conditionals.pdf
野矢茂樹著『論理学』(東京大学出版会、1994 年)


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