人と話すこと。

昨日のこと。
友達が紹介したい人がいるということで会いに行った。
アートで教育活動をされている方だった。

実は、私は高校3年間を美術科で過ごしている。
表現することが好きだった。
でも、評価される美術の世界に触れ、
美術の難しさも知った。
だから美術を諦め、まったく別の学科の大学に進学した。

2年以上アートから離れていたとき
友達にもともと美術が好きだったことを打ち明けた。
すると、その友達が私の絵を大絶賛してくれ、
私の絵の可能性を言葉で伝えてくれた。

これを機に、評価されるアートではなく
表現するアートとしてイベントなどで発表するようになった。

そんな日から2年、就職していく友達を脇目に、
お金のことも考えるようになった。

「好き」を追求すると、「お金」からどんどん離れていく。
将来、家庭、生活、そんな現実的なことを考えて就職していく周り。
「好きなことをして生きたい」
そんな想いはまるで小学生のようで
甘いのではないか、と不安になっていた。

アートで誰かを救うなんてできるのだろうか。
そう、ため息が増えてきたと感じていた日だった。

「アートで教育活動してる人なんだ、会ってみてほしい」
もちろん会いに行った。

待ち合わせ場所にいた大柄の男はその体が生み出したとは思えないほど
ころっとしたかわいいイラストを見せてくれた。
そしてぷーさんのような親しみのある笑みで
アートに対する熱い想いを話してくれた。

凄かった。
彼の出勤時間までの1時間じゃ到底話し足りなかった。
アートが差別意識をなくすのではないか。
表現の幅を増やすこと、それが他者への理解に繋がるのではないか。
正解のないアートだからこそありのままを尊重できるのではないか。

アートで社会問題にアプローチできる。
私の目はきらきらと輝いていたでしょう。
息をするのも忘れるくらい語った。

いつもそうだ。
自信を失い何かを諦めようと道に迷っているとき
こっちだよ!
そう照らしてくれるのは抱えていた悩みをぽろっと人に話した時。
そのぽろっが人を繋ぐ。
そして出逢った人が光の方へと手を引っ張ってくれる。

自分で考えてもわからない問いは沢山ある。
だって脳みそは一つしかないから。
身体は一つしかないから。
経験は自分のその一つの身体で、
考え事はその一つの脳みそでしかできないから。

だから、ほかの人の経験を貸してもらうんだ。
他の人の考え方を貸してもらうんだ。

それは私の経験や考え方をシェアすることも同時だから
お互いにとって価値のある時間。

人と話そう。

迷ったらお互い様。
ぽろっと沢山こぼそう。
そしたら色んな繋がりができそう。
同じ想い人、その逆の立場の人、既に行動してる人、諦めた人。
一人の経験や考えをもっと多くの人へ。

私は一人じゃない。
あなたも一人じゃない。

そんな瞬間をつくってこう。


蛍花

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