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#8 形式の役割

ひどくざっくり考えるならば

恣意的な差異の体系がある

それにより後天的に実体かのように扱われる音や言葉がある

そしてその音や言葉は我々の手元にある

我々はその音や言葉を積み上げるけど

なんとなく我々を取り囲む世界には辿り着かなそうな予感がある

こんな感じだろうか。

ふむふむ、せっかくだから羅針盤としての暴論を吐いてみよう。

なんとなくだけれども、

ヨーロッパは形式的、人工的、約束的な実体、単位を確実に「準備」して、それを組み立てることで、神的秩序へ辿り着こうとしている(?)

それに対して日本は自然的、移ろい的、曖昧な、ほったらかし、実体(もはや実体ではない)をなんとなく生きているが、形式を用いてその移ろい、時間を止めることで、「永遠の今」に辿り着こうとしている(?)

イスラームには、最初からアッラーという万有の主がいる。だから最初から辿り着いている(?)

「形式」の用途が異なるということ。
よくわからないけど、今日のところはこれでよしとしよう。

Triggered and Inspired by
『木村敏対談集1 臨床哲学対話 いのちの臨床』、青土社、2017年。
丸山圭三郎『丸山圭三郎著作集Ⅰ ソシュールの思想』、岩波書店、2014年。
『聖クルアーン』、日本ムスリム協会、2009年。
九鬼周造『時間の観念と東洋における時間の反復』、1928年。

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