いまのわたしに、できること。
太陽みたいな明るさで人を照らせるひとに
憧れた。
アイドルのような、
何も気にしないメンタルのような
全てをかーーーっと笑い飛ばして
「大丈夫だあ!!」
っていえるひと。
溢れんばかりに自分の持っている情を
惜しみなく人に渡せるひと。
そんなひとにあこがれた。
エンタメは
人類にとって生きていくのに不要なのに
エンタメがどれほどの人生を救ったのかは
私が語るまでもないはず。
そういう世界観を創れる人だけでなく
現実でも私は
太陽みたいに晴れるひとに憧れた。
最近、実際に現物を生で見たけれど
「ああ、この人のやり方には勝てねえ。」
本気でそう思って、しばらく死んだ。
あれほどの明るさや安心感は
私は人には与えられない。
そもそも自分が助けられたいと思っている中で
あの感情を出させるのはまず不可能。
そんなことを思いながら、
自分のやるせなさや出来損なさを感じて
人を大切にできない自分を恨んで、呪った。
そんなことをして。
__________4,5日くらいか。
頭が痛くて。
起き上がれなくて。
現実が見たくなさすぎて
いつまでも
「もう一眠りして夢を見よう」
これを何時間も繰り返した。
いつも起きれば夕方で、日が沈みかけていて
日がのぼる頃に
目が覚めればなあと何度も思った。
多少苦しくても夢の中にいつまでもいれば、
自分のつくった想像上の世界に居れば
怖がることも、臆することも、不安もなく
ただただ自分が想像したとおりに世界が作られて、
安心できる世界が作れると思った。
いくら寝ても、いくら夢を見ようとしても
身体は痛くて、思うように動けなくて
ただただ適当に暇を持て余して過ぎていく時間に
もう人生なんてどうでもいいやと思う自分と
今から這い上がればなんだって
できるんじゃないの?と期待をする自分に
揺られながら。自分の至らなさを呪いながら。
でも呪ってもどうしようもなくて仕方ないから
そんな自分も徐々に受け入れていくことにした。
現実の世界に生きている。
これが夢ならなんて良いんだろうと思うけれど
ほっぺはつねれば痛いし、
ご飯は食べたら美味しい。
変わらず時間は流れていくし、
周りの人間の成長を見てはひとりで羨んでいる。
死ぬほど自分が嫌いになって
でも時間が経てばたつほど
もうこんな嫌いだと思う自分とは
5年以上の付き合いなので
「自分を嫌いになっててもしょうがない」
何も変えられない。
ほんとうは大切にしたい人も物も
自分を嫌いになると大切にできなくなる。
本当の意味で、余裕をもって接しられないし
どれだけ好きなものでも、雑に扱うようになってしまう。
わたしはそれを、
親から学んだし、自分でも体感した。
そして、わたしはおもった。
「自分にできることをやろう」
と。
私は、あの人みたいに明るく人を照らすことはできない。
あの人みたいに周りに気を配り続けることもできないし
誰でもウェルカム・オープンに話をすることもできない。
だけど。
人の気持ちにどこまでも寄り添おうとすることはできる。
確かに不安定になって、自分が助けられたくなって
余裕もなく何もできない時間も時期も沢山あるけれど。
どこまでも理解や共感をしたいという気持ちはある。
基本誰に対してもその気持ちはあるけれど、
実際にそれを行動に移そうと思える人は少ない。
そんな自分が薄情だなとは思う。
自分の選り好みした人間を、
深く大切にすることしかできない。
広く深く人を大切にできるひとに
憧れ悩んだからこそ
狭くても深く人を大切にしようとしてる自分を知った
そんな自分が嫌だと思ったけど
そんな自分でしか大切にできない人がいることも知った
浅く広く
深く狭く
それぞれ違いも良し悪しもあるけれど
どこまでも自分の大切なひとには
ネガティブでも、苦しくても
そんな気持ちがでてきても
それに理解と共感を示し続けたいし
それこそが、今の自分にできることなんだとおもう。
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私にとって特に大切にしたい人は
自分の心に
今は素直になれなくても
素直になろうとしてる人。
藻掻き、苦しんでても
本心を大切にして生きていきたいと
思っているひと。
自分に素直になることを
諦めきっている人を
大切にしたいとはあまり思えなくて。
遠くからがんばれって見守っていることしか、自分にはできない。
でももし、本当に素直になりたいと思っているのなら
そして本人は口に出してなくとも
その想いが私の中で何かに響いたなら
そんな人を死ぬまで大切にしたいと
わたしはおもいます。
人とはちがう、わたしにできること。
おわり。