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東京の感染、地方の感染、友人の感染。

コロナ禍において、東京では人数がどんどん増えている。
地方でも増えているところもあるが少ないところもある。

先日は仕事でとある地方に行った。そこは人の流動性が少ないし、神郷密度も低いので感染者が非常に少ないのだが、インタビューした居住者の方は極端に感染を恐れているようだった。というのも、何人か出た感染者は特定され、バッシングされ、結局引っ越しを余儀なくされたのだと聞いた。
だからその方は東京から来た私に対してリスクを侵しながら逢ってくださったのだ。たいへん感謝しています。

そしてほぼ同時期に東京在住の友人新型コロナウィルスに感染したという話を聞いた。

コロナ禍に関して言えば、各個人ができる範囲で感染拡大を防止するように努めるべきだ。しかし新型コロナウィルスに罹患したことでその人を責めるのは間違っていると思う。たとえば不可抗力による交通事故で負傷した人を責めるだろうか。コロナに罹患しただけでも大変なのにさらにバッシングまでされては本当に可哀想だ。

「汚れ」「排除」という構造は部落差別、同和問題、さらに人種差別、ナチスのユダヤ人排斥などと同じ構造であって、コロナは人がそういう精神構造を持っていることまで炙り出してしまっているのか。僕たちはそれを理性で乗り越えて行かなくてはならないと思う。


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