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メロディという指針、コード進行という風景

ジャズを演奏する時、どこまで周りの音が聞けるか、とう話しの続きです。

https://note.com/keijiikeya/n/n5ae83e4071fd

コード進行をコードネームで覚えているのではなく、帰り道の風景をおぼえているぐらい体の中に入れないと、周りの音をみたり、周りの演奏者を見たりすることはできない、と前に書きました。

言い換えればコード進行はある意味でストーリーの土台であり、テーマのメロディは基本的なストーリーの指針であって、さらに言えば、その曲を演奏しているという気持ち、アイデンティティでもあるわけだから、アドリブをしながら頼りにするのは、コードではなく、きっとメロディだろうな、という気がしています。

コピーキャット、リックプレーヤーの場合、とあるコード進行になると必殺技を出す、ということがありがちですが、それは曲が何であるかどうかに構わず出してしまうのであれば、やはりアドリブとしては、つぎはぎであって、しかも曲を演奏していることにはならないきがするのです。

キャンディなら、アドリブの時もキャンディのメロディが頭に流れている、アナザーユーなら、そして酒バラでも。できればうたものであれば歌詞付きで(私は歌も歌うので)がベスト。歌詞が凄い切ないのであれば、いっけん明るいメロディでも、じつは悲しいのよ、と思って演奏すると深みが出るような気がしますし、英語の歌で英語ネイティブのプレーヤーは、無意識にそうやって演奏している気がします。まあテーマの譜割りを聴けば、奏者が歌詞を知っているかどうか、すぐにわかるしね。

つづきます。


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