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コロナとスポーツ、ロゴスとピュシス。

コロナとスポーツ、ロゴスとピュシス。

以前見たテレビ番組、NHKのBSのコロナの番組だと思いますが、そこで生物学者の福岡伸一さんが言っていた「ピュシスとロゴス」という話は私にとって非常に腑に落ちる話でした。

ピュスとはギリシャ語の自然、ロゴスとは同じくギリシャ語で言語や理論を意味します。

ロゴスとはアダムの林檎。人間は言語を獲得することで文明を発達させ今や世界を制覇している状況です。そして新型コロナウイルス(COVID-19)とは何を象徴するのか。福岡さんによればピュシスからの復讐をうけているのだと。

たしかにそう思う。

生物である人間が、言語と論理を得て、知識を得て、技術を発展させ、デジタルトランスフォーメーションで自然世界にあったものを論理の世界へと移転させた。では、そのロゴスだけで生きていけるのかそれが現在私たちに突き付けられている状況であり、その答えはノーであると言わざるをいません。

これを強く思ったのが、昨日(仕事で)見たプロバスケットのBリーグの試合の最中です。

私は音楽系の人間なのでコンサートやライブにはよくいきますが、スポーツイベントにはほぼ行かないしBリーグに至ってはこの機会がなければ生涯見ることはなかったでしょう。

でもBリーグを見て思ったのは、コロナによって我々が禁じられたほとんどのものがそこにあるということでした。スポーツ、というか勝ち負けがある競技は様式化された喧嘩であり、戦争でもある。そしてチアの美脚を露わにした素敵な女性たちのダンスはセックスの暗喩です。
闘争とセックス、どちらもアドレナリンが大量に分泌される、動物としての行為です。そして大勢の観衆はそれを見ることで、そこに同化し動物としての本能を充足させます。

コロナによって抑圧されていたピュシスは、人間が生き物である限りなくならないし、本質的なもの。

人間はピクシスを最小化してロゴスだけで生きられるのか、それは不可能だということが痛感しました。


注記文
ところで何度もここで書いているように私はコロナ終息後にポストコロナ以前とそっくりそのまま同じ同じ状況に戻ることについては否定的です。
しかしデジタルトランスフォーメーションして効率を上げるべきものと
ロゴス化できない、生命の根源として重要なものはある。
たとえばそれがスポーツであり音楽であり愛であり、性愛であり生殖であると思います。コロナが禁じている濃厚接触こそが、生殖そのものであって、
生殖がなければ人類、いや生物はその世代で絶滅します。


注記文2
ところでコロナですが、よく考えれば誰でもわかりますが、
遅かれ早かれコロナは絶対に終息します。
ワクチンによるものかもしれないし、
集団免疫によるものかもしれませんが。
だからこれを契機に考えるのはよいことですが、
未来永劫このディストピアが続くと考えるのは
あまりに短絡的だと思います。

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