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クリエイティブということ。湯村テリー輝彦さん。

先日、久々に自転車で仕事にでかけたが、時間があったのでポタリング気分で新宿文化会館の裏手あたりを走っていて、ふと記憶が蘇った。

とある広告のイラストをテリー湯村さんこと、湯村輝彦さんに依頼しにこのあたりに来たなと思い出したのだった。
テリー湯村さん https://ja.wikipedia.org/wiki/湯村輝彦

その時多分ギターエフェクターかマルチトラックレコーダーだと思うが広告を作っていて、デザイナーがテリー湯村さんのイラストを使った案を出したところ通ってしまった。ソックリに描くのはルール違反だし、まずはダメもとでご本人にオファーしてみようということになった。連絡するとまずはあいましょうということで、オフィスに呼ばれたのだった。それがそのあたりだった。

ご本人は精悍でごつくて今思えば黒人ラッパーみたいな感じだが、まだそれは流行ってない。おずおずとラフを見せるとにっこり笑って。これはオレが描くしかないか。ただ予算が合わない。でもやってあげるけど、他の人にこの値段でやったとは言わないでくれ、他のイラストレーターのギャラも安くされてしまうかもしれないからと。カッコ良かった。

そして仕上がりも受け取りに行った。スキャンしてメールで、なんてものは存在しない時代だ。版下だって写植をカッターで切って台紙にノリで貼って作った時代だ。

ご本人から、はい! と渡された封筒の中にはあたりまえだが有り難くもオリジナルのイラストが入っていて、見れば、ラフで使っていた部分は、わりと近いタッチで、しかもラフの100倍はファンキーでカッコ良く仕上がっていた。

そして凄かったのは、そのイラストには広告では使わないと思える部分まで描かれていて、そこには他の写真を貼ったコラージュとか、あとは絶対に広告、というか印刷物に使えないあれとか、これとかがガンガン描きこまれていたのだった。それを見た時、こころから恐れ入った。ああ、これがクリエイティブということなんだな、仕事とか仕事じゃないとか、プロとかプロじゃないとか、一切突き抜けているその清々しさと圧倒的なエネルギー。

たぶんあれは僕が30代初期の仕事だから四半世紀は経っているし、その前も後も数知れないほど広告の仕事はした、そして今もしているが、テリー湯村さんの圧倒的なクリエイティビティは、今もナンバーワンの凄まじさだ。

新宿文化会館の裏手あたりにくると、今のその衝撃が鮮明に蘇る。


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