見出し画像

負けない心

いよいよ、2度目の勾留満期が近づいてきました。

警察の取り調べ(捜査)もほぼ終わっているようです。あとは検事が最終的な取り調べを行い、起訴するかどうかの判断を待つだけとなりました。

ここまで1ヶ月近く、本当に大変でした。

留置場、別名代用監獄と言われる慣れない環境下で、対面で励ましてくれたのはアクリル板越しの弁護士先生ただ一人。
親は離れたところで暮らしていますので、面会は叶いませんでしたが、それで良かったと思っています。今回の逮捕で驚かせてしまった親からの励ましの言葉も弁護士先生から伝えていただきました。

身に覚えがないのに罪を認めるということは、それだけで社会正義に反する行為であるような気がします。私が冤罪の罪を被れば、真犯人は永遠に闇の中となるからです。しかし、実社会に1日でも早く戻ることを考えると、やっていないことを認めるのも選択肢の一つであることは否めません。

警察に逮捕勾留されるという結果そのものが、既に社会的な不利益を被っている訳ですが、それに伴う期間が長いか短いかだけの違いであるならば、例え有罪の可能性が99.9%だったとしても戦う道を選ぶことこそが、正しい選択なのではないかと思っております。

逮捕された時に<戦う道>を瞬時に選択するきっかけとなった、この『私のプライド』は生涯大切にしていきたいと思います。

捜査当局が身柄を勾留し、取り調べを行い、そこで引き出せた<自白>は最強の直接証拠となります。
自白だけでは有罪にできませんので、前もって客観証拠は用意されています。この客観証拠だけで有罪になるかどうかは裁判が終わるまでわかりません。なので、確実に有罪にするためには自白が必要になります。
そこで否認事件の場合、一個人の名誉と国家権力である警察検察がその威信をかけ、壮絶な心理戦が繰り広げられることとなります。

こちらの心をくじくために、警察はありとあらゆることをやってきます。

過去には証拠の改竄や捏造、冤罪に繋がる証拠は消失させたりと自分たちの思惑に沿ったストーリーを作ってきました。

勾留期間後半、2度目の家宅捜索が実施されました。
警察の取り調べで「新たな証拠が発見された」と言ってきましたが、この家宅捜索も不自然な点が多く、到底同意できるものでもありません。

そもそも、どうして勾留満期が近づいてきた頃に再度家宅捜索をするのか。それは、<有罪にできるだけの証拠が乏しいから>だと思います。

たとえ99.9%の壁を破れず、有罪の判決が出たとしても【無実】であることには変わりません。

真実は1つです。

ここから先は

0字

¥ 100

★★★ 本記事は「投げ銭」形式です ★★★ 価格設定をしていますが、記事自体は全文無料で読めます! 頂いたサポートにつきましては、裁判傍聴や各種調査等の活動に使わせて頂きます。よろしければ、サポート頂けると嬉しいです。