この国は自由民権を望んでいるだろうか~ゴーマニズム宣言大東亜論

この記事は、小林よしのり 「ゴーマニズム宣言 大東亜論」の第2部と第3部を読んだアウトプットです。

西郷隆盛が大河ドラマになっていましたが、明治維新後の「不平士族の反乱」っていったい何だかよく知りませんでした。

しかし、本を読んだ後は、なんだかこの問題が、現在に至るまで根強く続いているような気がしてきました。

西南戦争をはじめとする事件を、単に時代について行けず不平不満を募らせた士族が暴発したという見方は、明治政府こそが全で正しかったとする「明治礼賛史観」であり、実際には明治政府が急速に近代化・西洋化を目指したために日本本来の価値観を崩されたこと、そして明治政府が薩長藩閥の専制に堕落したことにある、ということが本書には書いてあります。

明治維新とは、急速に近代化を成し遂げたという意味では、今でも世界に誇れるものなのかもしれませんが、実際にはそれと同時に政治権力の腐敗が起きていたのですね。

西郷隆盛は、朝鮮に対して道義的な接し方をしようとしていたのですが、西洋かぶれになってしまった政府は、朝鮮に対して江戸幕府がアメリカにされたのと同じことをします。そんな政府を士族たちは許すことが出来なかったというのが、今一般的に「不平士族の反乱」と言われてしまっているものなんですね。

そして西郷亡き後も、武力によって「維新のやり直し」をしようという動きがあったのですが、次第にこれが言論による闘争へ変わっていきます。いわゆる自由民権運動ですね。

いわゆるボトムアップで、この変化を起こすことが出来たというのが本当にすごい、逆に言うと、これがなければ日本はもっとひどい国になっていたかもしれません。武士の魂は、そういう風に今も残っていると言えるのかも。

しかし、自由民権運動も、中央政府と同じように劣化が進んでいきます。権力闘争、仲間割れ……。 陳腐な感想ですが、人間というのはやっぱり愚かな生き物なんですね。

道義を失っていく日本を憂う気持ちが同じでも、武力闘争にしがみつくことしかできなった者と、言論闘争にシフト出来たものとの違いは「武士が国民軍に負けた」という現実を受け入れることができたかどうかでした。

つまり、近代化によって近代兵器が入ってきたことによって、兵士の数さえ揃っていれば武士は武力で大衆に勝てなくなってしまったんですね。

このことは、今のポピュリズム政治に迎合している大衆や、Twitter上でインフルエンサーや有名人に延々嫌がらせをする大衆、という図式に通じるものがあると思います。

國分功一郎さんは、ハンナ・アーレントの言葉を引用しながら、「人々を上から指示するような権威」の必要性を説きましたが、確かにそのようなものがなければ状況は変わらないと思います。

今の「人間至上主義」のTwitter村の中では、まともなことを言う頭のいい人も、しがないネトウヨも同じ一人のユーザーでしかありません。

はるかぜちゃんやはあちゅうさんが、アンチからの嫌がらせに心を折れそうになっていることと、「武士が大衆に勝てなくなった」ということはそういう意味で通じる部分があると思います。

この時代には、政府のスパイが至る所にいて、自由民権運動の活動家たちを見張っていたらしいんですね。作中ではそんな人物が、物語の主人公である頭山満の命を狙ってきます。

最後の方の二人のこのやり取りが、今の日本でもまだ続いているような気がしました。

「頭山、俺は幕府の世の中が良かったと思っている。維新と称し、西洋流の世の中にすることで人心を乱し、秩序が崩壊してしまった」

「それは違う! 今は生みの苦しみの時期たい。一君万民、天子さまの下で民人は平等になったではないか!」

「平等がなんじゃい! 天皇がなんじゃい! あんなものは政府の操り人形に過ぎぬ!」

「では何でお前は幕府を倒した政府の犬になっている?」

「秩序を守るのが俺の職分だから仕方があるまい。今は国士気取り、壮士気取りで、秩序を乱す者を憎むだけだ!」

「自由民権の時代に、化石のようなざれごとを……」

「自由こそがざれごと! 権利こそがざれごと! この国の民は自由民権などこの先も永遠に望まぬ! お上による秩序だけを望むのだ!

与えられた秩序=安全と安心の中で生きることを最優先とする人の本音を、よしりんはこのスパイに代弁させているような気がします。

この場面を見て、私は銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーのことを連想しました。というか、ちょうど今週のヤングジャンプが以下の場面だったんですけどね。

自由惑星同盟の若き天才軍師、ヤン・ウェンリーが、クーデターを鎮圧しようとする場面です。同盟では民主的な政治がおこなわれていますが、その内部は腐敗しきっていて、国民の命をコマのように扱って自分たちの地位を守ろうとする政治家ばかり。そんな状況を憂いて、一部の軍人が反乱を起こします(敵勢力の裏工作もありましたが)。

作品を通して、この物語に出てくる民主主義は最低に腐敗しきっているんですね。そして、いっそこのクーデターに便乗して、政治家たちを一掃してしまえば? と部下の一人がヤンに囁きます。

「私はベストよりベターをえらびたいんだ。いまの同盟の権力がだめだってことはたしかにわかっている。だけど、救国軍事会議とやらのスローガンをきみも見たろう。あの連中は、今の連中よりひどいじゃないか」

田中芳樹 銀河英雄伝説 第2巻 第3章より

ヤンは、どれだけ民主主義が腐敗しようと、それでも「自由がない」ことよりはマシだと信じきっています。ヤンはそもそも軍人になるつもりはなく歴史研究家になりたかったという設定なので、帝国主義から民主主義へというのは、人類にとって必然の流れだということをよく分かっているのでしょう。(もちろん作者の意図としては、民主主義の継続に疑問を投げかけるというのもあるでしょうが)

さて、今の日本国民は、自由民権を望んでいるのでしょうか。進化とは断絶のことですから、ホモ・サピエンスの一部がホモ・デウスになって、与えられた秩序を望む人々を無用者階級にしてしまう未来というのは、これから現実味を帯びてくるでしょう。「維新のやり直し」を志した偉大な先人たちは、現代にもし蘇ったとしたら何を思うのでしょうね。


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