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師匠との出会い

私が大阪プロレスに入団し、レフェリーの仕事やプロレス団体の裏方としての仕事をゼロから叩き込んでくださったのはテッド・タナベさん。

最近プロレスを見始めた人には馴染みが無いだろうってぐらい年数が経ってしまったが、昨今のプロレス界で「メジャー」とか「インディー」とか言われるその「インディー」というジャンルが日本でここまで大きくなったのはテッドさん無しではあり得ないと思っている。

実際にユニバーサルプロレス、FMW、そしてみちのくプロレスといった日本のインディーシーン創世記を裁き、そして裏方としても活躍された。

そんな偉大な人と最初に出会えた自分は本当に恵まれている。

初めてお会いしたのが土曜日で、新今宮のデルフィンアリーナで大阪プロレスの定期興行があった。

その時はまだ見習いだったので見学させてもらっていたら、大会後にテッドさんが若手メンバーを招集して練習試合をやれと。

そして突然、それをレフェリングしてみろと。

ど素人の自分がいきなりプロの試合を練習試合とはいえさっきまで試合してたリングでレフェリングやるなんて事に驚きを隠せなかった。

そして練習試合中、特に止められたりすること無く終えると試合後に口頭で諸々アドバイスと次回への課題を頂いてまた翌週。

同じようにまた土曜日の大会後の練習試合。

またアドバイスと課題を貰えるんだと思ってテッドさんの所へ行くと

「うん。じゃあ来週デビューすっか!」

え"

あまりのスピードデビューに戸惑う私に

「実戦やんないと上手くなんないし、本当に良いか悪いかはお客さんの前でやってみないとわかんないから。」

と、当時のピンクの大阪プロレスのレフェリーシャツ(当時はSサイズ)を手渡され

「んじゃまた来週!」

と名古屋に帰って行かれた。

そして迎えた6/30

デビュー戦の前は緊張とかは特にしなかったというか、社員としての興行準備の仕事に奔走しながらだったので忙しいすぎて緊張なんてしてる暇が無かった。

これからプロとしてのデビュー戦を前にこんな状態で臨んでよいのか不安に駆られていた私にテッドさんは

「あんま気負い過ぎるなよ。とにかくプロレスを楽しんで来い!特等席でこれからプロの試合見れんだから!(笑)」

と声をかけてくださった。

第1試合のカードはタダスケvs小峠篤司。

10分足らずの試合をたった1試合裁いただけなのに、汗かきまくってゼェハァゼェハァ。

とても楽しむなんて余裕は無かった19歳の私。

残りの4試合は全てテッドさん。

セコンドにつきながらテッドさんの動きを学びつつ

「なんであの巨体であんな軽やかに疲れずレフェリング出来んねん…すげぇ…」

と、リング内で実際に裁いたからこそわかるプロの凄さを体感した。

そんな6/30の試合後。

反省を頂きに行くとすごい笑顔で握手され

「デビュー戦にしては99点だな!まだ余裕ないとおもうけど、とにかくプロレスを楽しめ。楽しめたらもっと良くなるから。」

と高い評価を頂いてすごく嬉しかったのを覚えている。

「お前にはセンスがあると見た。やればやるほど上手くなっていく素質があるはず。もし上手くならなかったら俺の見る目が無かったって話(笑)」

なんてプレッシャーかけられたりもしつつ、自分の心はとにかく「レフェリーとして一人前になってやる!」

という向上心に満ち溢れていた。

そんな気持ちになれたのも師匠が俺の気持ちをコントロールしてくれてたんだな…

と、今になって気づく。

そしてそこから2年。

ほぼ毎週会場でご一緒させて頂き、優しく楽しく、時には厳しくも愛のある指導をたっぷりと頂いた。

17で父親を亡くしてる自分にとって、父親のやうに頼れる存在だった。

この人についていけば、この人の下でやっていれば必ず一人前になれる。

人生で初めてそう思える人と出会った。

なのにたった2年で急遽独り立ちせねばならなくなるなんて。

(続く)



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