「一人」

中学二年生の時、生まれて初めてロックバンドのライブを見た。本当に大好きなバンドで、毎日毎日彼らの曲を聞き弱気になった時は幾度となく励まされ、涙を流したこともある、そんな彼らに会えることを心待ちにしていた。その日は学校の運動会だった。私は、運動会なんてそっちのけで終了直後走って帰った。この日は部活も何もない。家に帰り、兄と合流をしてライブ会場に向かった。心臓は高鳴っていた。今か今かと開演を待ち、照明が落とされて周囲は真っ暗になり、実物が登場をした時は心が震えた。これから彼らのライブがはじまる。私は、生まれて初めて訪れたライブハウスという空間への緊張感と、これから何がはじまるのだろうという期待で胸を躍らせた。

しかし、実際にライブがはじまると私の心はあっという間に萎んだ。あまりにも大きい音で歌詞も何も聞き取れず、周囲のみんなが音に合わせてぴょんぴょん飛び跳ねる姿が異様に映り、最初は「これがライブの楽しみ方なのかな」と思って一緒に跳ねたりしていたが、一曲目の途中で疲れてしまった。演奏に合わせて手を振ったり拳をふりあげたりする人もいたが、自分にはそれができなかった。こんなにも大好きなバンドで、こんなにも毎日彼らの音楽を聴き続けていたのに、いま感じているこの気持ちは一体なんだろうか。どうして、自分は周囲の人たちと一緒に楽しむことができないのだろうか。大好きなものに触れたくて行ったのに、自分も楽しみたい気持ち満々で行ったのに、そこで感じた感情は疎外感だった。自分は、ずっと音楽を好きだと思っていた。しかし、生演奏を見ても「うるさい」とか「全然楽しくない」と感じた自分がいる。みんなが愛しているように自分も音楽を愛しているつもりだったが、それは少し違ったみたいだと実感させられた出来事だった。音楽を通じて一つになると言われるが、私は、音楽を通じて一人になった。

それからも彼らの音楽は好きで聴き続けたがライブに行くことはなかった。彼ら以外にも好きになったバンドがいて、何度かライブを見たが同じ感想を抱いた。本当に心の底から大好きなのに、実物を見た時の感動はなかった。斜に構えているつもりはない。自分だって楽しみたい。しかし、実物を見てもガッカリしてしまうことの方が多く、もしかしたら自分は音楽が好きじゃないのかもしれないと悩んだりもした。音楽が好きな友達からは「フェスに行こうぜ」と誘われたりもした。しかし、ライブに楽しさを感じられなかった私は断り続け、やがて誘われることもなくなった。生きていると、どうして自分はこうなのだろうかと思い悩むことがある。多くの場合、こういった苦しみは比較から生じていると思う。みんなが当たり前にできることが自分にはできないとか、みんなが楽しそうに過ごしている場面で自分だけ楽しむことができない、とか。ただ、自分は自分なだけなのに、誰かと比べることで「自分はおかしい」とか「自分はバグっている」とか「自分はダメな人間だ」と感じたりする。みんなと同じになれない自分を、責めてしまうのだ。だが、劣等感や自己否定は自分とは関係ない。それは、真の自分ではない。

私が生まれ育った新潟市の青山海岸では、毎年夏になると日本海夕日コンサートという参加費無料の大規模なイベントが開催される。そこには著名なアーティストも参加をするのだが、ある年の夏、元ちとせさんが出演した。実家から会場まで徒歩5分程度なので、私は散歩がわりに足を運んだ。ただ、なんとなく足を運んだだけなのだが、彼女の歌を聴いて度肝を抜かれた。私は、決して彼女のファンだった訳ではない。テレビなどで存在だけは知っていたが、ただ、それだけのことだった。しかし、実際の彼女の歌唱力は常軌を逸していた。人間は、本当に凄いものに出会ったら手拍子なんて絶対にできない。音楽を聴きながらリズムを取ることも、手を振ることも拳を振り上げることもできない。ただただ打ちのめされていた私は、原因不明の涙があふれそうになることを必死にこらえながら、凄いものを見てしまった、凄いものを見てしまった、俺は凄いものを見てしまったとぶつぶつ言いながら、家路を急いだ。とてもじゃないけれど、次のアーティストを見る心の余裕なんてなかった。楽しいとも違う。気晴らしとも違う。ただただ「凄い」と感じた彼女の姿に、私は強烈な感動を覚えていた。この感動は喜びだった。自分は音楽を好きじゃないのかも知れないと悩んでいたが、違った。自分にはまだ、音楽を聞いて感動する心がある。そう思えたことが嬉しかった。自分はライブが嫌いなわけではなかった。現に、今、ライブを通じてこれまで感じたことのない衝撃に打ち震えている自分がいる。この感覚が嬉しかった。

私は決してエンターテイメントに触れたいわけではないのだと思った。楽しいとも違う。気晴らしとも違う。それに触れてしまうと「凄い」以外の言葉が出てこなくなり、打ちのめされるしかなくなる瞬間に焦がれているのだと思った。私は、あの日、元ちとせという一人の人間の魂に触れた。彼女の周囲には大勢の演奏者たちがいたが、あの瞬間、彼女は圧倒的に一人だった。そして、私は、彼女の存在に衝撃を覚えた。他の観客が何を感じたかは、私にとってはどうでもよかった。みんなと一緒に楽しむという概念は私の中から完全に消え去り、ただ、私とあなただけがあった。自分という一人の人間が、元ちとせという一人の人間の存在によって、こんなにも打ち震わされている。他の人がどう感じるかということは、私がどう感じるかということに一切の影響力を持たなかった。誰が何と言おうとも、私の心は震えていた。100億人の人間がそれを素晴らしいと称えたとしても、この世にたった一人の自分がそれを素晴らしいと思わなければ、無理してまで笑う必要はない。だが、100億人の人間がそんなものはゴミだと嘲笑をしても、この世にたった一人の自分がそれを宝物だと思うのであれば、絶対にそれを手放してはいけない。好きなことをやるということは、自分を生きるということは、一人になるということだ。一人になることが、結果的に周囲の人々を救うのだ。

バッチ来い人類!うおおおおお〜!