見出し画像

挑発は、するものであって乗るものではない。

前回の記事で「癒し系は呪い系」と書いたら、ヒーラーの女性から「営業妨害で訴えますよ」と連絡が来た。別のヒーラーからは「あることないことお前の知り合い全員に言いふらして、お前の人生をめちゃめちゃにしてやる」と脅迫された。ヒーラー超怖い。これ以上ヒーラーに関わると命が危ない。だが、私には悪い癖がある。もっと怒らせたいと思ってしまうのだ。昔から、学校の先生を怒らせるのが好きだった。話の長い校長先生には「校長先生、話が長いです」と実際に言う。ほとんどの生徒は、つまらないなと思いながらも我慢をしてやり過ごす。サービス精神の強い私は、勇気を出して「校長先生、話が長いです」と言う。すると、退屈な空間を緊張が貫き、生徒たちも「あいつ、言いやがった!!!」と興奮する。自分が言うのは嫌だけど、誰かが言ってくれる分にはたまらないのだ。その役を、自ら率先して引き受ける。

これはある種の合気道精神だと思っていて、自分から仕掛けることはしない。ただ、先に仕掛けられた場合は、仕方がないから対処をする。相手が強ければ強いほど、その力を利用して、最小限の力で最大限の効果を生む工夫をする。喧嘩は良くない。言うまでもないことだが、喧嘩はしない方がいい。だから、これはある種の護身術だと思って読んでいただきたいのだが、挑発は、するものであって乗るものではない。挑発に乗ると、相手の策略にまんまと嵌る。頭に血が上った状態では、冷静に観察できない。逆に言えば、敵の頭に血を上らせてしまえば、相手は勝手にボロを見せて、勝手に自滅する。校長先生を自滅させるため、私は「校長先生、話が長いです」と真実を告げた。当然、校長は怒る。だが、実は、怒るのはおかしい。私は、別に、悪口を言った訳ではない。ハゲとかデブとか言っていない。所感を伝えたに過ぎない。

ヒーラーに対しても同じだ。私は「癒すのは嫌っす」と言った。すると、ヒーラーは怒った。校長先生を思い出した。自分の言いなりにならない人に向けられた憎悪、自分の権力が無効化されることに対する恐怖、その両方を感じた。彼らは怒る。怒りの裏側には悲しみがある。校長先生の言うことをみんなが聞くのは、校長先生が立派だからではない。ただ、面倒なことになるのが嫌だから言うことを聞くのであり、校長先生が校長先生を辞めてただのジジイになったら、誰も言うことを聞かない。人格的な繋がりがあれば、その人のポジションに関わらず関係は続く。社会的な権威やポジションを使わなければ誰とも繋がることのできない彼らの悲しみは、それが失われることを恐れる。王様は裸だと、化けの皮が剥がされることを恐れる。私は歩く冥王星なので、この領域に踏み込む。そんなもの、最初から無くしてしまえば楽になれるよと、権威(憎悪)そのものを無効化しようとする。成功すれば一件落着。関係者全員がスッキリできるのだが、失敗をすると呪われる。営業妨害で訴えられたり、脅迫されたりする。

平安時代から続くお寺の娘様と仲良くなり、先日、お茶をさせていただいた。平安期、加持祈祷を生業とした陰陽師は、人を呪殺しようとする時、呪い返しに遭うことを覚悟して、墓穴を二つ掘らせたと言われている。「人を呪わば穴二つ」の語源はここにあり、京都には安倍晴明を祀る神社がある。呪いなどと言うと禍々しく聞こえるかもしれないし、時代遅れの迷信だと思う人もいるかもしれない。だが、現代にも呪いは生きている。一番身近な呪いが、名前だ。私たち一人一人には名前がある。私には坂爪圭吾という名前があり、これが、この世で一番最初に受けた「呪」になる。呪いと書いてまじないと読む。だから、必ずしも悪いことだけを意味しない。従来、呪いの中には祈りもあった。私の存在を祝う人もいれば、私の存在を呪う人もいる。面白いもので、私を祝う人の名前と、私を呪う人の名前には共通点がある。具体的なことは書けないが、〇〇という名前の人にはいい人が多く、〇〇という名前の人には怖い人が多い、そんな超絶個人的な統計学(偏見)が、私の中で着々と形成されている。名前の力を舐めたらアカン。名前は、人間の一生を決める。

物事が解決した時、憑き物が落ちたような顔をされる方がいる。その顔はサッパリとしていて美しく、見ているこちらも爽快になる。逆に、憑き物そのものみたいな顔をされる方もいる。そんな方とは、できるだけ距離を置きたいと思う。逃げるが勝ち。逃げられるなら、さっさと逃げた方がいい。繰り返しになるが、喧嘩はしない方がいい。相手の罠に嵌ってはいけない。挑発は、するものであって乗るものではない。頭に血が上った時は、罠に嵌った合図である。頭に上った血を腹に落とすことによって、冷静に観察することができる上に相手の急所を突くことができる。最近ちょっと疲れているな(憑かれているな)と思ったら、日本酒と塩を入れた湯船にゆっくり浸かったり、スワイショウをいつもより長目にしてみたり、桃を食べよう。昔から、桃には厄払いの力があると信じられていた。晴明神社にも『厄除桃』の像がある。挑発は、するものであって乗るものではない。頭に上った血は、できる限り腹に落とすことだ。

おおまかな予定

7月20日(木)京都府京都市界隈
以降、FREE!(呼ばれた場所に行きます)

7月23日(日)演奏会@三軒茶屋
https://note.com/keigosakatsume/n/nd4937dd9b1e5

7月30日(日)日曜礼拝&わたり食堂【0円食堂】
https://note.com/keigosakatsume/n/n71a5dee36e87

連絡先・坂爪圭吾
LINE ID ibaya
keigosakatsume@gmail.com

SCHEDULE https://tinyurl.com/2y6ch66z

バッチ来い人類!うおおおおお〜!